村山槐多は、明治から大正にかけて実在した日本の洋画家であり、詩人、作家でもありました。22歳という若さで亡くなっていますが、油彩や水彩、パステルなどの紙に描いたものなど幅広い作品を残しています。油彩作品は画家人生後期に描かれたものが多く、41点ほど確認されています。デッサンやパステルなど油彩以外の作品は画家人生初期に描かれたものが多く、150点ほど確認されています。さらに、2019年4月24日に、未公開作品数が約130点見つかっています。
村山槐多は1896年、現在の神奈川県横浜市に生まれ、4歳の時に京都に移り住みました。画家としての道に進むきっかけになったのは、14歳の時にいとこの画家である、山本鼎と出会ったことです。鼎から油彩道具一式を渡され絵画に触れたことで、才能を見いだしていき、文学や美術の道に進むことになります。1914年3月、中学校卒業を機に、画家を志すことを決め上京します。上京の途中、山本鼎の家のあった現在の長野県上田市に1カ月程立ち寄り、そこで多くの水彩画やスケッチを残しています。上京後には第1回二科展において受賞し、画家として活躍していましたが、1919年2月に結核性の肺炎を患い生涯を終えました。
17歳の時に村山槐多は、未来には苦しいことや辛いこと、一筋縄ではいかないことが多く待ち受けているがそれでも前に進もうという、強い気持ちが読み取れる言葉を残しています。この言葉からは、熱く純粋な心を持った少年であったことがうかがえます。
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