少し怖いイメージがあるフランス人形。ビスクドールと呼ばれる陶器の顔を持ったフランス人形は、19世紀のフランスで大流行しました。当時はビスクドール工房が多くあり、技術を競いあっていたため、本物のように見えるガラスの瞳や細部にこだわった衣装など、非常に高い技術で人形が作られていました。
ジュモーもそんな工房の1つで、特に繊細な表情と当時の流行を追った衣装が人気のフランス人形です。現在も人気は衰えず、マニアの間では高値で取引をされているほど。ここでは、ビスクドールの代名詞ともいえるジュモーの歴史や、人形の特徴について説明します。
ジュモーとは?
ジュモーとは、ピエール・ジュモーと、エミール・ジュモーが創設したフランス・パリの西洋人形の工房です。父・ピエールと息子エミールにより、1842年から1899年にかけて、ビスクドールを始めとする西洋人形を制作し、人気を博した工房でした。ビスクドールは、19世紀のフランスで生まれた西洋人形で、二度焼きの陶器で作られた顔と、ガラス吹きで作られた立体的な瞳が特徴です。
小さな子どもたちが、ビスクドールに洋服を着せて遊ぶために作られ、一般階級の市民にも広まったことから爆発的な人気でした。
主に、父・ピエールは人形の洋服やヘッドなどのデザインに力を注ぎ、息子のエミールは瞳や瞼、人形の素材にこだわり、それぞれの才を発揮して多くの賞を受賞しています。
ジュモーの歴史
ジュモー社が創設されたのは、1842年のこと。生地問屋の家系だったピエール・ジュモーは、フランスのパリにフランス人形の工房を作りました。ピエール・ジュモーが設立した当初は、その後に人気となるビスクドールではなく、頭部が陶器ではないベベドールを作っていました。当時、ベベドールは子どもたちの間で大流行していたのです。
ピエールは、特に人形の衣装デザインに長けており、当時の最新ファッションを多く取り入れていました。1851年には、ロンドン万国博覧会に人形の衣装を出品し、ピエール・ジュモーの作品がデザイン賞を受賞します。
その後、息子のエミール・ジュモーが加わり、人形の構造の改良にも力を入れていきます。1870年代になると、ジュモー工房でもビスクドールを生産し始め、現代でもよく知られるフランス人形の形になりました。
1867年のパリ万国博覧会で銀賞を受賞、その後も受賞を重ね、1878年第3回パリ万国博覧会でも金賞に輝いています。
しかし、ビスクドールの人気とともに、人形工房が乱立し、ジュモーの工房も価格競争に巻き込まれていきます。このころ、ビスクドール工房の合併が頻繁におこなわれ、ジュモーも他社と合併したことで、その名前を失われました。さらに、価格競争に負け、1900年代には完全にジュモーの歴史は途絶えてしまいました。
ジュモーの特徴とその魅力
ジュモーのフランス人形の特徴は、あどけない顔つきと最新ファッションを取り込んだ衣装です。作られた年代によって特徴は異なりますが、瞼にまつげをつけるなど、細部にこだわった表情が魅力といえます。また、息子のエミール・ジュモーは、人形の見た目だけでなく、構造にも注目しており、より壊れにくい人形を考案しました。
ジュモーのビスクドールのなかには、中に小型の蓄音機を入れたことで言葉を話すタイプの人形もいます。オルゴールなどを入れたカラクリを持つフランス人形は、オートマタと呼ばれ希少性が高く、現在も高い人気を誇るジュモー作品です。
1890年代以降のジュモー人形には、『JUMEAU MEDAILLE D'OR PARIS』の印字、あるいはラベルが貼られています。それ以前の人形には、印字や刻印など、ジュモー社が制作したという印は付いていませんでした。
ジュモーの人気の秘訣はその衣装
ビスクドールなどのフランス人形のなかで、特に人気の高いジュモー。その人気の秘訣は、なんといっても細部にこだわって作られた衣装です。万国博覧会で、数々のデザイン賞を受賞したピエール・ジュモーの技術が、巧みに活かされています。
ジュモーのビスクドールは、表情も繊細で特徴的です。面長の顔は少し寂しげですが、その瞳の奥には力強さを感じます。ビスクドール工房の乱立により、ジュモーの技術は途絶えてしまいましたが、現在もそのビスクドールは非常に人気の高いフランス人形です。
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