宣徳帝(せんとくてい)とは、中国に存在した大国・明朝の第5代皇帝です。
明の時代の皇帝として国を動かした一方で、絵の才能もあったことが分かっています。
国政に尽力し、病弱だった父よりも早く亡くなった宣徳帝。
彼の描く絵は繊細で柔らかです。
明の最盛期といわれる時代を指揮した皇帝、宣徳帝の生い立ちや作品の魅力を紹介します。
プロフィール
1398年-1435年
中国・明の時代第5代の皇帝。
諱は瞻基(せんき)で、朱瞻基と呼ばれることもある。
日本では在位中の元号、宣徳帝の呼び名が使われることが多い。
在位したのは1425年〜1435年と決して長くないが、明の国力が強まり、仁宣の治(じんせんのち)と呼ばれる最盛期と評価されている。
叔父の漢王による反乱から、皇族への監視を強化して皇帝の独裁体制を築く。
それまで禁止されていた宦官の学問を解禁したり、皇帝の秘書へ広い権限を与えたりしたことでも有名。
内閣大学士として、三楊(楊栄・楊士奇・楊溥)と称される3名を置いた。
生い立ち
宣徳帝が産まれたのは、1398年の中国大陸でした。
父は明朝の第4代皇帝、洪熙帝(こうきてい)です。
洪熙帝は非常に病弱で、洪熙帝の父(宣徳帝の祖父)・永楽帝は廃太子を検討するほどだったといいます。
廃太子とは、王位継承者の廃位を指します。
病弱な洪熙帝の長男として産まれた宣徳帝ですが、祖父・永楽帝の予想に反して英気ある若者だったため、廃太子は見送られました。
1425年、宣徳帝の父・洪熙帝が崩御。
わずか1年の在位でした。
父の死を受け、宣徳帝は皇帝に即位することとなります。
しかし、父の弟である朱高煦(しゅ こうく)は甥の宣徳帝が即位に反対し、反乱を起こしました。
朱高煦は兄洪熙帝とは似ておらず、体格がよく勇猛だったといいます。
ただし暴虐無礼な側面をもち、立太子を見送られたこともあります。
宣徳帝の即位に対し反乱を起こしたのは、異民族討伐で活躍した経歴もあり、「自分こそ皇帝にふさわしい」との奮起だったのでしょう。
朱高煦の反乱は、宣徳帝による迅速な対応で撃墜され鎮圧。
朱高煦は捉えられて監禁され、宣徳帝により残虐な方法で処刑されてしまいます。
反乱を鎮圧した宣徳帝は、再び反乱が起きないよう皇族への監視体制を強化しました。
また、丞相(じょうしょう)と呼ばれる最高位の官吏制度も廃止し、内閣大学士の三楊を置いて皇帝の独裁体制を確立させます。
さらに、初代皇帝の洪武帝(こうぶてい)が禁止した宦官の学問を再開しました。
宦官とは、皇帝に仕える者のことで、宣徳帝は宦官を対象とする学問所を設立しました。
内政を整えた宣徳帝は、統制が難しいとされた満州を放棄し、大越(現在のベトナム)の撤兵を命令。
争いが長期化する地域から手をひき、国内の行政制度の整備に注力しました。
一方で国土の拡大を諦めたわけではなく、南方航海を再開してインドやスリランカ、アフリカまで宦官である鄭和(ていわ)を送りました。
しかし志半ばで、1435年に崩御。
期待されただけに、早い死を惜しまれました。
宣徳帝を助けた三楊
宣徳帝が重用した楊栄(よう えい)・楊士奇(よう しき)・楊溥(よう ふ)の3人は、三楊と呼ばれ、明の重鎮とされています。
楊栄は明の時代の政治家で、永楽帝に起用されて内閣大学士を務めました。
永楽帝の時代から、洪熙帝・宣徳帝・永宗の4代に渡って皇帝を支えた人物です。
楊士奇も楊栄と同時期に内閣大学士となった人物で、文学にも長けていました。
楊溥は、楊栄と並んで翰林院(かんりんいん)で主席の意味の修撰だったといわれています。
永宗が1444年に死去するまで、楊栄と楊士奇とともに内閣大学士を務めました。
宣徳帝は三楊を頼り、政務を任せて内閣大学士の発言力も高めたと伝えられています。
作品の特徴とその魅力
宣徳帝は芸術の才も持ち合わせており、多数の作品を残しています。
特に文人画と呼ばれる絵画を得意としていました。
文人画は南画とも呼ばれ、職業としてではなく文人が趣味として描いた山水画。
画家が描いたものではないため、自由なタッチが特徴です。
宣徳帝が残した作品は、山水と犬、猿など動物を描いたものが多くあります。
揺れる毛並みと風景を見事に描いています。
しかし宣徳帝は画家を使って自分の絵を修正させたとの逸話が残っており、彼の作品がどこまで本人のものなのかは不明です。
とはいえ、宣徳帝の文人画は非常に珍しく高価であることに間違いありません。
宣徳帝は明の最盛期を作った人物
宣徳帝は、反乱を起こした叔父を鎮圧し、明の第5代皇帝の座についた人物です。
国の行政制度を整えることに尽力し、皇帝に仕える宦官や内閣大学士の育成にも力を入れました。
その結果、明は宣徳帝の時代に最盛期を迎えたといわれており、評価の高い皇帝の1人です。
また、宣徳帝は文人画にも秀でていたことが分かっています。
山水や動物を繊細なタッチで描き、現在も彼の作品は高く評価されています。
宣徳帝の作品は画家の修正が入っているとも噂されていますが、真偽は定かではありません。
いずれにしても、彼の文人画の評価には影響せず、人気の高い作品に違いないでしょう。
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