近藤悠三
こんどうゆうぞう

成形した粘土などを焼いて器を作るという共通技法はあるものの、土・釉・炎などの影響でまったく異なる風合いのものが生み出される陶磁器。

産地ごと、あるいは作家ごとに特徴があり、千変万化の佇まいで楽しませてくれます。

焼物といってイメージされるものにはいくつかの類型があるといえますが、一つは色付きの釉や自然釉を用いた無地のもの。

そしてもうひとつは、匠の手によって絵や彩色が施されたものに大別されます。

後者にはさまざまな色を用いたカラフルなものもありますが、中国・景徳鎮に代表される白地に鮮烈な青で模様を付けたものが有名です。

日本ではこれを「染付(そめつけ)」といい、コバルト顔料で白い胎土に模様を描いて透明釉をかけ、高温焼成したもので主に磁器に用いられます。

14世紀初め頃の景徳鎮で完成したこの技法はヨーロッパやイスラム圏、朝鮮半島など広範に伝播し、日本へは16世紀の終わり頃九州・有田に伝わりました。

本邦での染付技法は長らく古典の写しがメインでしたが、そこに新たな芸術表現を取り入れた陶芸家が20世紀に誕生しました。

その名は「近藤悠三」。

本記事では、染付の第一人者として人間国宝にも認定された近藤悠三のプロフィールや生い立ちを概観しつつ、作品とその魅力についてご紹介します。

プロフィール


1902年(明治35年)‐1985年(昭和60年)

明治~昭和時代の陶芸家で、特に染付の名工として知られています。

洋画や志野焼も研究しており、伝統的な染付技法をベースに新たな芸術表現を体現した作家でした。

染付の絵画的表現やコバルト以外の顔料を併用する技などを体現し、1953年からは京都市立美津大学(現・京都市立芸術大学)で教壇に立ち、最終的には学長も務めています。

1977年には重要無形文化財「染付」の保持者として、人間国宝に認定されました。

生い立ち


近藤悠三は1902年(明治35年)2月8日、京都市清水寺下門前に生を受けました。

1914年(大正3年)に京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤(ろくろ)科に入所し、3年で卒業すると同試験場に助手として勤務します。

その当時の試験場では技手として、河井寛次郎や濱田庄司などのちに歴史に名を残す陶芸家が研究に励んでおり、近藤は濱田から窯業科学などの手ほどきを受けました。

近藤は1921年に陶磁器試験場を退職、ロンドン留学から帰国して奈良に楽焼の窯を開いていた富本憲吉の門下に入り、助手を務めるようになります。富本はのちに重要無形文化財「色絵磁器」の保持者として人間国宝に認定され、文化勲章も受章する陶芸家です。

近藤は1924年に故郷の京都へと戻り、関西美術院洋画研究所で洋画やデッサンについての知見を深めます。並行して清水新道石段下に自身の窯を開き、染付・釉裏紅・象嵌などの技法を用いた作陶を行いました。

初めて作品が入選したのは1928(昭和3年)の第9回帝展で、以降13回連続で入選するという記録を残しています。

1956年には第3回日本伝統工芸展で「山水染付壺」という作品が日本伝統工芸会賞を受賞。

同年岐阜県多治見市で美濃焼のうち白釉に特徴がある志野焼について研究し、以後染付に絞った作陶を行うようになります。

以降制作のかたわら、日本工芸会常任理事や陶芸部会長を務め、1953年に現在の京都市立芸術大学である京都市立美術大学の陶磁器化助教授に就任します。

1956年に同大教授、1965年には同大学長となり、陶芸に関わる教育者としても多くの後進を導きました。

1970年に紫綬褒章、1973年には勲三等瑞宝章と京都市文化功労者章をそれぞれ受章します。

そして1977年、重要無形文化財「染付」の保持者として人間国宝に認定。1980年には紺綬褒章を受章しました。

1985年、満83歳で永眠。「生まれ変わっても陶芸家になる」と語っていたと伝わっています。

近藤悠三の家族・弟子


近藤の祖父・正慎は清水寺の寺侍であり、幕末に西郷隆盛と勤皇の僧侶・月照上人を助けたことで罪に問われ自害したという志士でした。

近藤家代々が陶芸家だったわけではありませんが、近藤の子・孫と三代にわたって作陶に身を捧げています。

近藤の長男・豊、そして次男の潤ともに陶芸作家として活躍し、豊は弟子の一人としても名を連ねています。

また潤の長男である高弘もその系譜を受け継ぎ、海外でも精力的に活動を続けています。

近藤悠三作品の特徴とその魅力


近藤の代名詞ともいえる染付の技から、「染付の悠三」という通り名が知られています。

近藤以前の染付といえば中国古来の伝統的な文様を模写することが主流で、長らく大きな技術的変革はありませんでした。

近藤はここに洋画技法を取り入れた絵画的表現を開発し、「呉須(ごす)」と呼ばれるコバルト顔料のみならず金彩や赤絵なども用いる技を確立しました。

大型の器にダイナミックな染付を施すことも多く、その作風は「壮大で生命力に満ちた」と例えられます。

染付の名匠・近藤悠三


染付という伝統技法による器を、匠の世界からアートとしての可能性へと広げた近藤悠三。

その独自の境地は「近藤染付」とも呼ばれ、近代陶芸史における一つの画期を作ったといっても過言ではないでしょう。

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