茶道具としての茶碗は古来「一楽二萩三唐津」といわれ、いずれも日本文化における美意識を示す工芸品です。
三に挙げられた「唐津焼」とは、現在の佐賀県東部~長崎県北部あたりで安土桃山時代頃から制作されてきた陶器の総称です。
唐津焼の起源については従来、豊臣秀吉による文禄・慶長の役によってもたらされた技術で、朝鮮半島の匠たちが16世紀終わり頃に窯を開いたものと考えられてきました。
しかし考古学的な調査の成果などから、文禄期から少し遡る1580年代にはその祖型ができていたことが判明しています。
唐津焼といえば素朴で侘びを感じさせる作風から、特に茶器として珍重され高い人気を誇ってきました。しかし江戸時代には窯の燃料確保による山林荒廃などから有田へと窯業拠点が集約され、唐津は鍋島藩の藩窯として存続します。
明治維新を迎えると藩という後ろ盾を失った唐津焼は冬の時代を迎えます。
多くの窯元が次々に廃業していき存続の危機に瀕しますが、その伝統技法を研究・復興したのが「中里無庵」です。
本記事では唐津焼中興の祖と呼ばれ、人間国宝にも認定されている中里無庵のプロフィールや生い立ちを概観しつつ、作品とその魅力についてご紹介します。
プロフィール
1895年(明治28年)‐1985年(昭和60年)
明治~昭和時代に活躍した唐津焼の陶芸家。
唐津藩御用窯の「御茶盌窯」を生家とし、1927年(昭和2年)に第12代窯元を継承しました。1929年以降は唐津焼窯址の調査を開始し、衰退した古唐津の技法復元に取り組みます。1966年、紫綬褒章を受章。1976年には重要無形文化財「唐津焼」の保持者として人間国宝に認定されました。
生い立ち
中里無庵は1895年(明治28年)4月11日、佐賀県唐津市に生まれました。先に述べたとおり生家は代々御用窯を務めた窯元であり、11代・中里太郎右衛門(天祐)の次男として生を受け、幼名を重雄といいました。
「太郎右衛門」は御茶盌窯の当主代々の通り名として受け継がれたものです。
中里は1914年(大正3年)に佐賀県立有田工業高校製陶科を卒業し、父・天祐の元で学びながら家業に就きます。
1924年に天祐が没し、中里はその3年後の1927年(昭和2年)に12代・太郎右衛門を襲名し御茶盌窯を継承しました。
中里が大きく関心を寄せたのは、失われた古い唐津焼の技法についてです。
1929年からは発掘を伴う古唐津窯跡の調査を佐賀県・長崎県下で行い、出土した陶片資料などを基にその技術の分析・研究に努めます。
中里が再現に成功した古唐津製法の代表格に、「叩き」という技法があります。これは器を紐状の粘土を積み重ねて造形し、内側に松の丸太を当てて外から羽子板状の道具で叩くことによって成形していくというものです。
中里はこの技法の復元により、安土桃山時代の唐津焼の作風を再現することに成功しました。
この研究成果を自らの作陶に取り入れた中里は、1931年に「刷毛目鉢」という作品を第18回工芸美術展に出展。
失われた古唐津の技を現代に蘇らせた作家として、大きなインパクトを残します。
中里は1922年(大正11年)から材木商・無呂津忠七の養嗣子となっており、正確には「無呂津重雄」を名乗っていました。しかし1952年(昭和27年)に本姓へと戻し、「中里太郎右衛門」となります。
1955年には第3回日本伝統工芸展で初入選し、以降は同展に連続出品し文化財保護委員会や文化庁がその作品を買い上げています。
1966年に紫綬褒章を受章、1969年には臨済宗大徳寺派の総本山である京都・大徳寺で得度。「無庵」の法号はこのとき授かったものでした。
同年、13代太郎右衛門となる長男の忠夫に家督を譲り、1976年には重要無形文化財「唐津焼」の保持者として人間国宝に認定されます。1985年1月5日、病を得て唐津市内の病院にて没。満89歳でした。
中里無庵の家族
中里が代々続く唐津焼窯元の家に生まれたのは既に述べました。
11代太郎右衛門であった父・天祐は「捻り物細工」と呼ばれる陶芸の彫刻、すなわち陶彫の達人として知られる名工でした。また長男の忠夫は13代太郎右衛門を受け継ぎ、古唐津の技を伝えつつもモダンな作品にも挑戦しています。また研究者肌の陶芸家としても有名で、唐津焼に関する論文で博士号を取得しています。
中里無庵作品の特徴とその魅力
中里無庵といえば安土桃山時代の古典技法復興が代名詞ですが、それには当時主流であった豪奢な献上唐津という作風への疑問に端を発するといいます。本来は質朴な風情が茶人に愛された唐津でしたが、長い歴史の中で藩の庇護を受け、献上品へと変遷していった経緯とも関係しています。
いわば唐津の原点回帰を志向し続けた作陶であり、そうした古典技法に裏打ちされた純朴かつ力強い作風がその魅力といえるでしょう。
古唐津の復興者・中里無庵
発掘調査を含む研究を重ね、陶片から先人たちの技を学び取って蘇らせた中里無庵。
文字どおり「古唐津の復興者」と歴史的な評価を受けていますが、あくなき探求心と古典技法への真摯な情熱が実現させた偉業といえます。
その技と心は脈々と受け継がれ、現在は14代目の太郎右衛門が窯を守っています。
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