一般に「洋画」と分類される絵画にもさまざまなものがありますが、陰影がなく輪郭を線で表現する日本画とはいずれも大きく雰囲気が異なります。
しかし歴史上、洋画の技法が日本画にも影響をもたらしたことが知られており、18世紀の蘭学者・本草学者であった平賀源内は油彩の技で西洋の女性を描きました。
洋画は本邦でも一大ジャンルとなり、近代から現代にかけてもこれを専門とする多くの日本人洋画家が誕生しました。そのうちの一人が「鈴木信太郎」です。
写実的な画風も多く見られる洋画の中でも、必ずしも現実の描写に即したわけではない抒情的な作品群で知られる作家としても著名です。
本記事ではそんな鈴木信太郎のプロフィールや生い立ちを概観しつつ、作品とその魅力についてご紹介します。
プロフィール
1895年(明治28年)8月16日‐1989年(平成元年)5月13日
明治から平成の時代にかけて活躍した日本の洋画家。
最初は黒田清輝に師事し、二科会会員になるも後に脱退。新たに一陽会を組織して中心メンバーとして活動しました。風景などの静物画を得意とした作家としても知られ、日本芸術院会員となり文化功労者にも選ばれています。
生い立ち
鈴木信太郎は1895年(明治28年)8月16日、東京都八王子で父・鈴木金蔵と母・テルの次男として生を受けました。
信太郎は1910年(明治43年)に赤坂溜池にあった「白馬会洋画研究所」に入り、東京美術学校教授も務めた洋画家で後に政治家ともなる黒田清輝のもとで絵を学ぶようになります。
1913年(大正2年)、現在の東京都立八王子工業高等学校の前身である東京府立織染学校に入学。ここで織物図案を二年間にわたって学びました。
その後信太郎は染色図案家の滝沢邦行に師事して図案家としての道を志しますが、1916年(大正5年)に第10回文展に出展した水彩画で初入選。1921年(大正10年)からは図案から油絵に切り替えての制作活動を開始しました。
翌年の第9回二科展で初入選し、同年より石井柏亭に師事。1926年(昭和元年)の第13回二科展では樗牛賞を受賞し二年後に二科会会友、次いで1936年(昭和11年)に同会の会員となります。
しかし1950年(昭和25年)に二科会を退会。同年には武蔵野美術大学の教授として教壇に立ち、約15年同校で後進を育成しました。また1953年(昭和28年)からは多摩美術大学の教授にも就任し、ここでは約13年教鞭を執っています。
そして1955年(昭和30年)、洋画家の同志であった高岡徳太郎や野間仁根らとともに新たに「一陽会」を結成します。以降、信太郎は生涯にわたって同会に出展し続けました。
1960年(昭和35年)に日本芸術院賞を受賞。さらに1969年(昭和44年)には日本芸術院の会員に名を連ね、勲三等瑞宝章を受章しました。
1982年(昭和57年)には大阪高島屋で、1986年(昭和61年)にはそごう美術館においてそれぞれ「鈴木信太郎展」が開催され、これらは信太郎の回顧展的な位置付けとされています。
1988年(昭和63年)に文化功労者に選ばれ、その翌年の1989年(平成元年)5月13日、東京都渋谷区の日本赤十字医療センターにて満93歳で生涯を閉じました。
信太郎の死の翌年、そごう美術館と奈良そごう美術館において「鈴木信太郎遺作展」が開催されています。
鈴木信太郎作品の特徴とその魅力
鈴木信太郎は専門の美術学校など、いわゆるアカデミズムにおける絵画教育を受けずに画壇に名を残した作家の一人です。
それだけに絵画への固定観念やセオリーに囚われない、自由闊達な作風で独自の境地を切り開きました。
一般に信太郎の画風は風景画を得意としているとも説明されますが、他にも花や人形、果物などの静物全般を好んで画題としています。遠近法の概念にこだわらず画面いっぱいにモチーフを配し、澄んだ明るさと豊かな色づかいが特徴的な作品を残しました。
その絵の数々は陽気かつ抒情的で、童心に帰ったかのように楽しげな心象風景を描き出していると評価されます。
また現在でも信太郎の展覧会が開催されたり、その絵が北里研究所病院に展示されたり、あるいは洋菓子店のパッケージやグッズにデザインされたりしていることもあり、作品を目にする機会の多い作家であるともいえるでしょう。
その絵はどことなくおとぎ話を想起させるようなかわいらしさにも溢れており、鑑賞する人の心に安らぎや和といった感覚を与えるといった声があります。こうした点が鈴木信太郎作品の大きな魅力といえるのではないでしょうか。
「童画風」の洋画家、鈴木信太郎
信太郎の作風をして、肩肘の張らない無邪気で明るいイメージから「童画風」と例えられることがあります。
明治・大正・昭和・平成と四つの時代にまたがって活躍した作家ですが、その絵はいまだ新鮮さが失われていません。絵画を眺めて心の豊かさを育むという、芸術鑑賞の第一歩を楽しませてくれる作家の一人といえるでしょう。
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