小林古径
こばやしこけい

日本画を含め、伝統的な東洋絵画における特徴の一つに輪郭線を用いる画法があります。

西洋絵画と対比した際に際立つ部分でもありますが、歴史的には東洋絵画でも輪郭線を使わない描写の試みは存在しました。

例えば10世紀中国の徐熙(じょき)らが用いた「没骨法(もっこつほう)」などが知られ、日本画でも江戸時代初期の俵屋宗達がこの技法を取り入れています。

明治時代を迎えると日本画への西洋絵画技法の導入が一つの潮流となり、岡倉天心指導のもとで横山大観や菱田春草らが輪郭線を使用しない画法の研究を行いました。この技法は「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれ、革新的な取り組みではありましたが当時の日本画壇からは肯定的な評価は得られなかったといいます。

しかしこうした一連の試みはさらに工夫研鑽が重ねられ、大観・春草を含めた多くの画家たちによって結実していきました。

一方、岡倉天心の模索した新しい日本画への取り組みを引き継ぎ、そのスタイルを高度に完成させたといわれる画家の一人に「小林古径」が存在します。

古径は蚕の吐く糸に例えられる中国古典絵画の極細輪郭線を研究し、その線描の技術をさらなる高みへ導いたと評価される画家です。

本記事ではそんな小林古径のプロフィールや生い立ちを概観しつつ、作品とその魅力についてご紹介します。

プロフィール



1883年(明治16年)2月11日‐1957年(昭和32年)4月3日

明治・大正・昭和の時代に活躍した日本画家。

「新古典主義」と呼ばれる日本画の新しいスタイルを確立し、近代日本画壇を牽引した画家の一人として知られています。

東洋絵画に特徴的な線描の技術を探求した画業は日本や中国の古典・歴史を題材としたものも多く、代表作『髪』は裸体像としては初めて切手の柄に採用されました。

生い立ち



小林古径は1883年(明治16年)2月11日、新潟県中頚城郡高田土橋町(現在の新潟県上越市大町)で元高田藩士・小林株(みき)の次男として生を受けました。古径は雅号であり、本名は茂といいます。

明治維新後に新潟県の役人として出仕した父の転勤に伴い、幼少期は県内各地を移転しながら過ごしました。

4歳で母、9歳で祖母、12歳で兄、13歳で父を亡くして妹と二人だけの暮らしとなり、過酷な少年時代を送ったと伝わっています。

古径が絵画に触れたのは11歳の頃で、横山大観の東京美術学校時代の同期生、山田於兎三郎(やまだおとさぶろう)に日本画の指導を受けたのが最初でした。

やがて新潟県内で活動していた遊歴画家の青木香葩(あおきこうは)にも師事し、歴史画を中心に手掛けながら絵の道を志すようになります。

古径が画家を志望して上京したのは1899(明治32)年のことで、16歳の彼は梶田半古(はんこ)の画塾に入門しました。

半古は新聞小説などの挿絵で有名な画家であり、岡倉天心が会頭を務めた青年絵画協会の発起人や絵画共進会の審査員などにも名を連ねる人物でした。

「古径」の雅号もこの時代に師から与えられたものであり、弟子の情熱に応えるように半古は非常に熱心に指導を行ったといいます。

この半古塾では前田青邨(まえだせいそん)や奥村土牛(おくむらどぎゅう)らが共に学び、古径はその画才を発揮して塾長的な立場となりました。

上京した古径は妹のヨシと共に親類の屋敷の門長屋に身を寄せていましたが、その才能を高く評価した岡倉天心が二度にわたって直接長屋を訪問したといいます。

1914年(大正3年)、古径は第1回再興日本美術院展で入選し同人に推薦されました。また1922年(大正11年)からは日本美術院の留学生として渡欧。半古塾で共に学んだ前田青邨も一緒でした。

およそ一年間にわたる留学ではエジプト・ギリシャ・イタリア・フランスを周遊し、大英博物館で『女史箴図巻(じょししんずかん)』の模写を行いました。これは4世紀の中国で描かれたものを唐(618‐907年)代の初め頃に模写したと考えられているもので、「高古遊絲描(こうこゆうしびょう)」と呼ばれる極細の柔らかな線描は中国絵画の古典技法でも最高峰とされています。

古径はこの経験から自身の画風である「新古典技法」を確立したとされ、代表作の『髪』は先述のとおり日本の切手に採用された初の裸体画となりました。

1937年(昭和12年)には帝国芸術院会員となり新文展の審査員に就任。1944(昭和19年)に東京美術学校教授および帝室技芸員になり、1951年(昭和25年)には文化勲章を受章しました。

古径は1957年(昭和32年)4月3日、満74歳の生涯を閉じます。

小林古径作品の特徴とその魅力



初期の小林古径作品は文学への愛好から浪漫的とも称される情緒が特徴的です。

一方、自身の作風を確立した「新古典主義」と呼ばれる作品群では簡潔ながら格調高い、洗練された線描技法が目を引きます。

華麗かつ優美であると称されるそれらは日本画の新境地を拓いたと評価され、そうした清冽な画面が古径作品の魅力の一つといえるでしょう。

新古典主義の確立者、小林古径



長い伝統の中でも果敢に多様な技法の導入を試みてきた日本画。

その歴史のうちでも、古典技法の系譜をさらなる高みへと昇華させた古径の画業は、岡倉天心など近代画壇牽引者らの夢を結実させたといえるのではないでしょうか。

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