橋本関雪
はしもとかんせつ

日本文化の源流を遡ると、その多くが大陸や半島からもたらされた知識・文物に発していることが分かります。

哲学や文学、あるいは芸術分野に関するものも同様で、古典と呼ばれるジャンルが古代中国の学芸を指す場合もあります。

日本画についてもその祖型には古い中国絵画の影響が不可分であり、歴史上日本の画家にもそれを専門とする人々がいました。

そんな古い時代の中国の文学や風物を画題とした日本画家の一人に「橋本関雪」の名が挙げられます。

関雪は漢学にも造詣が深く、まさしく「和魂漢才」を実践した画家でした。
本記事ではそんな橋本関雪のプロフィールや生い立ちを概観しつつ、作品とその魅力についてご紹介します。

プロフィール



1883年(明治16年)11月10日‐1945年(昭和20年)2月26日

明治・大正・昭和の三時代を生きた日本画家。

中国の古典文学や風物を含めた漢学への造詣が深く、古い時代の大陸に関わる画題での制作でよく知られています。

「新南画」と呼ばれる作風を確立し、自身のアトリエ兼邸宅である「白沙村荘」などの建築や作庭にも高い見識を示しました。

生い立ち



橋本関雪は1883年(明治16年)11月10日、兵庫県神戸市坂本村(現在の神戸市中央区楠木町)に父・橋本海関と母・フジの長男として生を受けました。幼名を成常といい、のちに関一(貫一)と改めています。

海関は旧・播磨明石藩に仕えた儒学者であり、関雪はこの父から家学である漢詩や書画などの手ほどきを受けました。

関雪は1890年(明治23年)に神戸市湊川尋常高等小学校に入学しますが、1895年(明治28年)に中退。この頃から絵画に興味を示し、同年4月に四条派の画家・片岡公曠に入門しました。

1898年(明治31年)、絵画修行のため約一年間上京。1903年(明治36年)の冬には京都へ出て日本画家・竹内栖鳳の竹杖会に入会します。

1905年(明治38年)には東京美術研鑽会の展覧会に出品した『四面楚歌の声』で研精賞を受賞。同年、満州軍総司令部嘱託として日露戦争に従軍しました。

1908年(明治41年)には第2回文展に出品した『鉄嶺城外の宿雪』が初入選し、以降東京の谷中清水町に居を移します。その後も文展を中心に出品を続けて各回で褒状を受け、1910年(明治43年)には漢詩集を出版しました。

1913年(大正2年)5月、初めて中国大陸を旅行。各地を巡り朝鮮半島を経由して6月末に帰国し、同年9月に京都へと移転しました。また同10月には第7回文展二科に出品した『遅日』が二等賞、翌年6月の大正博覧会では『桃源郷』が銀賞。第8回文展でも『南国』が二等賞となりました。

1915年(大正4年)にも第9回文展に出品。無鑑査だった二作のうち『猟』が二等賞を受賞。翌年の第10回文展では『寒山拾得図』が初の特選となりました。同年に京都市左京区浄土寺石橋町に自邸兼アトリエの「白沙村荘」が完成。ここに移り住みます。

1917年(大正6年)とその翌年には第11回・12回文展で無鑑査の『睨雲林』『木蘭』がそれぞれ特選となり、永久無鑑査である「推薦」となりました。

1920年(大正9年)には第2回帝展および東京博覧会の審査委員を務め、以降も帝展を中心に各種審査・鑑査に携わりました。

1934年(昭和9年)、51歳の関雪は帝室技芸員に任命されます。

1936年(昭和11年)には帝国美術院の改革案に反対して横山大観らと共に脱会しましたが、翌年に帝国芸術院へと生まれ変わると改めて会員になっています。

1939年(昭和14年)に陸軍美術協会に参画。その翌年には京都・建仁寺の襖絵60面が完成。

1943年(昭和18年)に『十二月八日の黄浦江上』を描きますが戦後にGHQに没収され、東京国立近代美術館に返還されたのは1970年(昭和45年)のことでした。

1945年(昭和20年)2月26日、関雪は狭心症により満61年の生涯を閉じました。

戒名は月心院空厳関雪居士。生前に自ら考案したものでした。その魂は滋賀県大津市大谷町走井の、瑞米山月心寺に眠っています。

橋本関雪作品の特徴とその魅力



橋本関雪の作品について考える際、彼の確立した「新南画」という画風のことをおさらいしておきましょう。

そもそも「南画」とは17世紀中国の「南宋画」をもとに、江戸時代中期以降の日本で独自解釈のもとに成立した画風を指しています。

新南画とは大正から昭和の時代にかけて描かれた新しい傾向の南画、といった意味合いのものです。

中国の古典的風物への憧憬を日本的光景に反映させたとも表現できる南画は「文人画」とも呼ばれました。

この系譜を引く関雪の作品は、そうした伝統的な大陸文化への敬意と儒学に裏打ちされたインテリジェンスを感じさせ、この独特の風情が大きな魅力となっています。

漢学に精通した文人画家、橋本関雪



儒学者の家系に生まれ、自身も深く漢学に精通した橋本関雪。

まさしく文人画家と呼ぶにふさわしい作家であり、古来の儒者の風格を思わせる画業は一つのジャンルといっても過言ではないでしょう。

そこには文化の源流でもある大陸への、先人から受け継がれてきた果てなき憧れが込められているかのようです。

>日本画買取ページはこちら
無料査定のご依頼はこちら

鑑定のご相談、
お待ちしております!

お電話でのご相談・鑑定依頼

電話買取簡易査定が可能ですので、まずはご相談ください。

0120-13-6767

鑑定依頼メールフォーム

出張鑑定や持ち込み鑑定のご依頼はメールフォームからも受け付けております。お気軽にご連絡ください。

メールフォームはこちら

LINEで簡単査定

LINEで簡単に査定が可能になりました。

友だち追加 LINEQR

多くの士業関係の方からも御依頼を頂いております。お気軽にご相談ください。