本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)は、江戸時代初期の書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人であり、寛永の三筆の一人と称される書家の一人です。光悦流の祖と仰がれる書流を創始しました。また、陶芸家としても活躍し、独自の美意識を持った作品を多数残しています。歌舞伎役者の肖像画や美人画などを得意とし、鮮やかな色使いや緻密な筆致で知られています。蒔絵師としても活躍し、光悦流蒔絵を創始しました。茶人としても知られており、茶器や茶室の設計にも携わっています。
生年月日は不明ですが、享保9年(1724年)頃に江戸で生まれたとされています。幼名は金吾次郎、後に光吉と名乗りました。師事した絵師については不明ですが、多くの作品から独自の画風を確立していることがわかります。
寛延3年(1750年)頃から版画制作を始め、多くの肖像画や美人画を制作しました。特に、歌舞伎役者の肖像画は高い評価を受けており、彼の描く歌舞伎役者の姿は当時の歌舞伎界の様子を知る貴重な資料としても注目されています。
明和6年(1769年)には、江戸市中で火災が発生し、光悦は自宅と工房を失いました。このことがきっかけで、彼は版画制作を中心に活動するようになり、一時期は出版業にも進出していました。
天明2年(1782年)には、光悦は58歳で没しましたが、彼の作品は多くの愛好家に支持され、今なお多くの美術館や個人コレクションで高く評価されています。
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