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火なわ式銃砲(火縄銃)は、16世紀中頃にポルトガル人によって日本へ伝来した銃器で、日本の戦国時代に急速に普及しました。点火方式は火縄を使って火皿の火薬に点火する単純な構造ですが、当時の戦術に大きな変革をもたらした技術革新の象徴です。以降、日本各地で多くの鉄砲鍛冶が生まれ、各流派・各地の特徴を備えた火縄銃が制作されました。
芝辻家は、摂津国(現在の大阪府)を拠点とした著名な鉄砲鍛冶の一族で、「芝辻口」の銘は主に17世紀前後の火縄銃に見られます。特に堺・摂州地域は、江戸時代において鉄砲の一大生産地として発展し、芝辻をはじめ多くの名工を輩出しました。銘文に「摂州住芝辻口」とある場合、それは同家による製作である可能性が高く、現存数が少ないことからも骨董的価値が極めて高いとされます。
芝辻家の銃は多くが武家や藩に納められたため、伝来が明らかなものは極めて貴重です。銃砲登録がなされている場合、さらに歴史資料としての評価が高まります。また、芝辻家は幕府公認の鉄砲鍛冶であったとされ、当時の武器制度や製造体制を知るうえでも重要な資料となります。
火縄銃には製作者の銘が刻まれていない「無銘」のものも多く存在します。これには以下のような理由があります:
無銘であっても、装飾や製作技術に優れたもの、状態が良好なものは高額で評価されることがあります。
銃身の錆の有無、木部の割れや補修、機構の可動性などが重要です。完全な形で残っているものは特に評価が高く、銃砲登録証が付属していれば信頼性が増します。
彫金、象嵌、装飾金具などが施された火縄銃は、工芸品としての価値も認められます。特に花鳥文、龍文、唐草模様などが精緻に彫られた銃は、実用品を超えた美術品としての扱いを受けます。
旧家・藩邸・寺社などの伝来が明らかな火縄銃には、由緒が加味されて価値が高まります。また、火縄・火皿・専用箱などの付属品がある場合も、希少性が評価されます。
現在、火縄銃はコレクターズアイテムとして国内外で人気があり、特に歴史愛好家、軍事史研究者、美術工芸収集家の間で高く評価されています。文化財保護の観点から、保存には乾燥環境の維持と、錆止め処理などの定期的なメンテナンスが推奨されます。
火なわ式銃砲は、戦国・江戸の武器文化と工芸技術が融合した貴重な遺産です。銘文「摂州住芝辻口」はその中でも名工による高品質の証であり、保存状態や来歴によって美術品としての評価が確立されています。一方で、無銘品であっても高い技術や装飾性を有するものは十分な骨董的価値を持ち、今後も歴史資料としての需要と市場価値の上昇が期待される分野です。
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