倪 瓚(げい さん、1301年 - 1374年)は、元末の画家。黄公望、呉鎮、王蒙と並ぶ、元末四大家の一人に挙げられる。
董其昌、黄公望、陳継儒、王思任、楊龍友、王時敏、夏雲鼎、孔尚任などとあわせて「金陵九子」とも呼ばれた。
富裕な資産家の家庭で生まれ、仕官することはなかった。
1350年ごろから元朝政府の重税化の影響で、地方官憲と税問題でトラブルになり、投獄されたこともあった。
内乱の影響もあり、1352年に家財を整理して、家族とともに故郷を離れた。
元末明初の混乱期を20年もの流寓の生活を送った後に、74歳で無錫に帰り、親戚の鄒氏の家で没した。
元時代の文人画家・趙孟頫の作品に影響を受けたといわれ、墨竹画や山水画を得意とし、
山水様式の『蕭散体(しょうさんたい)』と呼ばれる技法で独自の画風を確立した。
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