高橋敬典
たかはし けいてん

1920年(大正9年)-2009年(平成21年)
昭和から平成にかけて活躍した日本の鋳物師。
山形の伝統工芸・山形鋳物の技術を継ぎ、伝統的な技法に、革新的なデザインを取り入れた人物。とくに、茶の湯で使われる茶釜制作に尽力し、1996年に重要無形文化財保持者「茶の湯釜」として登録された。

高橋敬典(たかはし けいてん)とは、茶の湯釜で人間国宝に認定された、日本の鋳物師です。山形に生まれ、伝統工芸である山形鋳物を学び、その技術を継ぎました。伝統を重んじながらも、それまでにない斬新なデザインを取り入れ、伝統工芸をより現代的に体現した人物でもあります。
ここでは、昭和天皇・皇太子殿下へ献上するほどの技術をもって茶釜を制作し、後継に伝えた高橋敬典の生い立ちやエピソードを紹介します。

生い立ち


高橋敬典は、1920年に山形県山形市銅町で生まれました。本名は、高橋高治(たかはし たかじ)といいます。父・高橋庄三郎は、町で鋳造業を営んでおり、1938年に高橋敬典が継ぎました。家業の工房「山正鋳造所」では、現在も、山形の伝統工芸である山形鋳物を制作・販売しています。
山形鋳物は、美しい鋳物の表面と、正確な造形が特徴で、約900年の歴史をもつ伝統工芸です。平安時代に源頼義に仕えた鋳物師が、山形の地で鋳物製造を始めたことがきっかけでした。

家業の鋳物業を継いだあと、高橋敬典は釜だけでなく、さまざまな鋳物を制作していたとされています。茶の湯釜の制作を始めたきっかけは、長野垤至に師事したことでした。長野垤至は、和銑(わずく)を用いた釜の制作において、優れた技術を保持していた鋳物師です。山形へは、鋳物製造の技術指導に来ていました。
長野垤至から新たな技術を得た、高橋敬典はこのころから、和銑を使った茶の湯釜の制作を始めます。和銑とは、砂鉄を木炭で製錬して作り出した鉄で、さびにくい特性をもった鉄です。

1951年に開催された第7回日展にて、出品した『和銑平丸釜地文水藻』が初入選を果たします。翌年以降も、出品作が続けて入選しました。この功績から、1961年には、昭和天皇へ釜を献上しています。
日展から日本伝統工芸展へと場を移し、1963年の第10回日本伝統工芸展で『砂鉄松文撫肩釜」が、奨励賞を受賞します。さらに、1976年にはNHK会長賞を受賞。
1979年に、皇太子殿下へ釜を献上し、1992年には勲四等瑞宝章を受章しています。また1996年に茶の湯釜にて、重要無形文化財保持者に認定されました。

正寿堂


正寿堂とは、高橋敬典が父から受け継いだ山正鋳造所のことです。
高橋敬典は、家業を継いだあと、晩年まで正寿堂で制作に打ち込みました。2009年に亡くなったあとは、高橋敬典の弟子たちが正寿堂を継いでいます。

作品の特徴とその魅力


高橋敬典は、師匠・長野垤至の影響で、芦屋釜や天明釜など、茶の湯釜を多く制作しています。とくに砂鉄から製錬した和銑を用いた茶の湯釜の制作にこだわりました。
伝統的な芦屋釜や天明釜の研究を深めましたが、高橋敬典の作品はその型どおりのものではありません。デザインは革新的、地紋は質素で、肌のきめ細やかさを重視した作品が特徴です。伝統を重んじながらも、新しさも取り入れた斬新な作品を数多く残しています。
高橋敬典の作品のなかでも、『和銑松文撫肩釜』や『和銑平丸釜』が有名。和銑のきめ細かい肌を活かす地紋と、気品漂うデザインが美しい茶の湯釜です。

伝統と革新の斬新な作品が魅力の高橋敬典


高橋敬典の作品がほかの鋳造師と異なるのは、斬新な造形です。伝統技法を基礎のうえに、まったく新しいデザインを取り入れています。とくに和銑を用いた作品が多く、絹や砂のように細やかな表面を特徴としています。
師である長野垤至が鉄釜の歴史的研究をおこなったのに習い、高橋敬典も熱心に鉄釜制作の研究をおこないました。その成果は、現在も高い評価を得ている高橋敬典作品に反映されています。

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