1887年-1979年
幼少期を日本で過ごしたイギリスの陶芸家。
生まれは香港。
植民地官僚の父に連れられ、幼い頃は日本や香港、シンガポールで過ごし、1897年にイギリスへ移った。
以降も日本を度々訪れ、茶道や茶道具に興味を持つ。
後に陶芸家としての道を歩むことになる。
その功績は国際的に認められ、大英帝国勲章や国際交流基金賞を受賞。
1920年に設立したリーチ工房は、イギリス・コーンウォールのセントアイブスに残っている。
生い立ち
バーナード・リーチが生まれたのは、1887年の香港でした。
父と母はイギリス出身でしたが、父が植民地官僚だったため、幼少期から世界各地を転々とすることとなります。
日本へ移り住んだのは、母が亡くなって京都に住んでいた祖父の元に引き取られたためです。
祖父もイギリス出身で、京都や滋賀の学校で英語教師をしていました。
1985年、父の再婚によってバーナード・リーチは香港へと戻ります。
しかし父の転勤に伴いシンガポールへ、さらに1897年にはイギリスへ移り住むこととなりました。
芸術に興味を持っていたバーナード・リーチは、1903年にロンドンにあったスレード美術学校へ入学。
しかし翌年、父が亡くなったため、銀行員として働き始めます。
芸術の道を諦めきれなかったバーナード・リーチは、1907年から再び美術学校でエッチングの技術を学び始めました。
エッチングとは、化学薬品を利用して表面加工する技術のことです。
腐食剤を使って、銅や亜鉛などの金属を加工します。
美術学校に通っていたときに出会ったのが、留学中の高村光太郎でした。
高村光太郎は、日本の彫刻家・画家です。
1906年からニューヨークやロンドン、パリへ留学し、海外の芸術を学んでいる最中でした。
高村光太郎と出会ったバーナード・リーチは、幼い頃を過ごした日本を懐かしみ、日本に住むことを決意。
1909年に東京・上野に移り住みました。
ここで柳宗悦(やなぎむねよし)ら白樺派の仲間と出会ったことが、バーナード・リーチの運命を変えます。
白樺派とは、1910年から文学同人誌『白樺』を創刊し、理想主義や人道主義、個人主義などの理念を持った文芸集団です。
バーナード・リーチは、白樺派の本拠地であった千葉県我孫子市へ赴き、自身が持つ版画の技法を指導したとされています。
さらに、陶芸家・富本憲吉(とみもとけんきち)ともこの頃出会いました。
交友を深めた2人は、上野で開かれた博覧会へと出向きます。
博覧会で、バーナード・リーチの興味を惹きつけたのは楽焼の絵付けでした。
楽焼とは、ろくろを使用せずに手とヘラで成形する陶器です。
成形方法は手捏ねと呼ばれ、千利休が好んだと言われる歪みや厚みのある茶道具もこの技法で作られていました。
楽焼の絵付けを体験し、一気に茶道具に惚れ込んだバーナード・リーチは、1912年に6代目・尾形乾山(おがたけんざん)へ入門。
バーナード・リーチから影響を受けた富本憲吉も、同じ道を進むこととなります。
リーチは、後に7代尾形乾山の名を免許されています。
陶芸を学んでいる間に知り合った陶芸家・濱田庄司(はまだしょうじ)とともに、1920年にイギリスのコーンウォールにあるセント・アイブスへと移りました。
セント・アイブスでは、1922年に日本の伝統である登り窯を開きます。
日本や中国など東洋の技法や、西洋の伝統的技法を融合させた陶磁器の作成に力を入れました。
セント・アイブスで釜を築いた後も、日本や世界各地へ赴き、思想や工芸を学ぶ姿勢は変わりませんでした。
バーナード・リーチの息子も陶芸家
バーナード・リーチには、最初の妻との間に息子のデビッド・アンドリュー・リーチがいます。
デビッドは東京で生まれ、1920年に父とともにイギリスへ移り住み教育を受けました。
その後は父の工房で陶芸を始め、さらにノーススタッフォードシャー工芸大学で陶芸管理を学びました。
学んだ技術を窯にも活かし、工房の近代化に貢献しています。
デビッドの息子たちも、陶芸家として活動しています。
作品の特徴とその魅力
バーナード・リーチの作品は、西洋と東洋の技法を取り入れた独自の世界観が特徴です。
作品は皿や瓶、茶道具など多岐に渡ります。
特に有名なのが、ガレナ釉を用いた陶磁器です。
中央にウサギが描かれている『楽焼兎文皿』や、人魚が印象的な『ガレナ釉筒描人魚文大皿』などがあります。
バーナード・リーチの作品には、スリップウェアと呼ばれる技法が多用されています。
スリップウェアとは、素地に泥漿で模様を描き、鉛の硫化物を加えたガレナ釉で仕上げる技法です。
模様が浮かび上がり、立体感のある陶磁器になることが魅力です。
バーナード・リーチは一説によると、生涯で10万点を超える作品を作ったとされていますが、作品は世界各地にあるため、実際の作品数は分かりません。
日本では東京都目黒区にある日本民藝館が、約120点※の作品を所蔵しています。
※
日本民藝館「バーナード・リーチ作品」(参照2022-02-09)
バーナード・リーチは西洋陶芸と東洋陶芸の架け橋
バーナード・リーチは、日本陶芸の文化に魅了されて西洋と東洋の技法を融合させた独自の作風で作品を残した人物です。
日本の芸術家と親交が厚く、度々来日して作陶していました。
彼の息子や孫も陶芸家で、それぞれ独自の技法を編み出して工芸界に新しい風を起こしました。
バーナード・リーチは個人での制作だけでなく、工房全体で制作・管理する方法を用いていたため、多くの作品を生み出すことができたとも言われています。
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