アートにはどの分野でも作風や制作への姿勢など、ある種のスタイルとして捉えられる潮流があります。
「印象派」「表現主義」「シュルレアリスム」などがよく知られていますが、そのどれにも当てはまらない独自の路線を確立したアーティストも存在します。
そのうちの一人がスイスの画家「パウル・クレー」です。
幼少時から生活に音楽が深く結びついた環境で育ったクレーの作品は、型にはまらない独特の自由さでもって多くの人に愛されています。
本記事ではそんなパウル・クレーのプロフィールや生い立ちを概観しつつ、作品と魅力をご紹介します。
プロフィール
1879年‐1940年
スイスの画家および美術理論家。
音楽に携わる家庭に生まれ幼少期からヴァイオリンを嗜み、文学や絵画などの創作にも関心を寄せつつ成長しました。
ヴァイオリニストとしてもプロ級と評されるキャリアから、絵画作品にも音楽に因む用語が多く用いられています。
クレーの作品は色彩の豊かさと支持体や画材を限定しない多彩な表現を持ち、キャンバスに描いたものは少なく小サイズの絵画が多いことで知られます。
20世紀初めのドイツでは美術と建築の総合教育機関であったバウハウスなどで教壇に立ち、教育者としても後進の育成に尽力しました。
ナチス政権下ではドイツを逃れて故郷のスイスに亡命し、皮膚硬化症という難病と闘いながら膨大な作品群を制作。
その画業はパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックらにも影響を与えたといいます。
生い立ち
パウル・クレーは1879年12月18日、スイスの首都であるベルンの近郊にあるミュンヘンブーフゼーという町で生まれました。
父は音楽教師、母は声楽を学んだ人物という環境で育ったクレーは幼少より音楽に親しみ、11歳の頃にはヴァイオリニストとしてベルンのオーケストラに所属していたといいます。
その間にも文学や絵画への関心を高め、最終的に絵を描くことを選択したものの音楽などへの情熱も持ち続けていました。
1898年にはドイツ・ミュンヘンへと旅立ち、その2年後には美術学校に入学して象徴主義の大家として知られるフランツ・フォン・シュトゥックに師事しました。
しかし学校での学びが合わなかったクレーは一年で退学、イタリアへの旅で古典的な絵画から多くのインスピレーションを得ます。
結婚や銅版画への挑戦などを経て、1911年12月にミュンヘンで表現主義の画家たちが集ったサークル「青騎士」に参画。その展覧会には第2回から出展しました。1914年に訪れた北アフリカのチュニジアでは、クレーの画業において転機と評される感銘を受け色彩的な画風へと劇的な変化を遂げました。
しかし同年に第一次世界大戦が勃発。クレーも1916~1918年にかけて従軍しますが、この頃から画家としての評価が高まっていきます。
1920年にはミュンヘンの美術商・ゴルツの画廊で展覧会を開催し、1921年から10年間ドイツ・ヴァイマルの美術・建築の総合教育機関「バウハウス」で教師を務めました。
その後も2年間はデュッセルドルフの美術学校で教壇に立ちましたがナチス政権に反発し、故郷スイスのベルンへと亡命。
銀行口座の凍結や皮膚硬化症の発症など過酷な状況となりますが、その中でも1939年に制作のピークを迎え1年に1,253点もの作品を生み出しました。
病気の影響から手が思い通りに動かなくなったといいますが、シンプルな線を用いた独自の造形表現へと到達します。
クレーは1940年6月29日、スイス南部・ロカルノ近郊のサンタニェーゼ療養所にて60年の生涯を閉じました。
パウル・クレーの家族
クレーの父母が音楽と深い関わりのあったことは先に述べたとおりですが、妻・リリーもピアニストでした。
結婚はクレーが27歳の折でしたが当時は芸術家として無名で、リリーがピアノ教師として家計を支えたといいます。
1906年に結婚した二人の間には、翌年に息子のフェリックスが生まれます。
この間クレーは家事や育児に熱心に取り組み、自筆の詳細な育児日記を残しました。
フェリックスは後に「パウル・クレー財団」の創設者となり、スイスにおけるクレー作品の保存に力を尽くすことになります。
パウル・クレー作品の特徴と魅力
画家としてのクレーにとっての転機は、1914年に旅したチュニジアでの体験にあることを先に述べました。
その作品の特徴と魅力も、この時にインスパイアされた豊かな色彩感覚に集約されるといっても過言ではないでしょう。
鮮烈というより自然光下での彩りという印象を受ける作品群は、柔らかくも一定の型にとらわれない自由さを感じさせます。
晩年には難病により手の自由が利かなくなりました。
それを乗り越えて編み出したシンプルな線での描画も、独特の味わいとして多くの人を惹き付けています。
音楽が育んだ画家、パウル・クレー
クレーの画業の根底にあるものの一つとして、音楽の存在を指摘する声があります。
優れたヴァイオリニストでもあったクレーは創作活動に遺憾なく音楽的感性を発揮し、絵画の構成に作曲的要素を感じる評論家もいるといいます。
音や光といった五感を直接刺激する要素にインスパイアされたパウル・クレーの画業は、そうした幼少期から心身に沁みこんだ芸術が育んだともいえるでしょう。
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