「洋画」や「日本画」といった絵画の大まかな分類はよく知られていますが、それらには実に多くのジャンルや取り組み方があり、しかも相互に影響を与え合ってきた歴史があります。
例えば元来は厳密な意味での遠近法がなかったとされる日本画には、江戸時代後期の浮世絵師たちによって西洋絵画から取り入れられました。
欧米でも19世紀後半に起こった日本美術ブーム、いわゆる「ジャポニスム」の影響が知られ、有名なところではゴッホの浮世絵をモチーフにした絵などが残されています。
そして、洋画でも日本画でもない独自のスタイルを確立した作家が登場します。
フラスコ画に仏画の技法を反映させるなど、斬新な取り組みで画壇の寵児と称えられながらも38歳という若さで世を去った「有元利夫」です。
本記事ではそんな有元利夫のプロフィールや生い立ちを概観しつつ、作品とその魅力についてご紹介します。
プロフィール
1946年(昭和21年)9月23日‐1985年(昭和60年)2月24日
昭和の時代に活躍した日本の画家・版画家・彫刻家。
イタリアのフレスコ画と日本の仏画における共通点に着目し、両者の技術を融合させた独特の画風で日本洋画界の寵児として注目されました。
木彫・塑像・ブロンズ・版画なども制作しましたが38歳の若さで惜しまれつつ世を去りました。
生い立ち
有元利夫は1946年(昭和21年)9月23日、太平洋戦争の影響による疎開先の岡山県津山市小田中で父・有元吉民、母・琴子の四男として生を受けました。翌年1月に東京都台東区へと移り、以後生涯の大半を谷中で過ごすことになります。
1953年(昭和28年)に台東区立谷中小学校に入学。在学中に木版画がコンクールで最優秀賞となり、知事賞を受賞しました。
1962年(昭和37年)に私立駒込高等学校に進学し、版画家であった美術講師・中林忠良の薫陶を受けます。
1969年(昭和44年)、東京藝術大学美術学部デザイン学科に入学。在学中はデザインのみならず日本画科・彫刻科・版画研究室・音楽学部など多岐にわたる学科に足を運んで学びました。
1971年(昭和46年)に訪れたヨーロッパでフレスコ画にインスピレーションを受け、日本の仏画との共通性から岩絵の具の使用を思い付きます。
その翌年、仲間たちと共同制作した作品が毎日広告賞佳作に入選。1973年(昭和48年)に大学を卒業し電通に入社しました。
自身のアトリエを開いたのは1975年(昭和50年)のことで、その翌年に電通を退社。以降は母校である東京藝術大学の非常勤講師を務めながら画家としてのキャリアをスタートさせます。
1978年(昭和53年)に第21回安井賞特別賞、そして1981年(昭和56年)には第24回安井賞をそれぞれ受賞。1983年(昭和58年)には第2回美術文化振興協会賞を受賞しました。
その間にも画集の出版や展覧会など精力的な活動を繰り広げ画壇の寵児として注目されましたが、1985年(昭和60年)2月24日に肝臓がんのため38年の生涯を閉じました。
有元利夫の家族
有元利夫の家族として、画家でもある妻の有元(旧姓:渡辺)容子をご紹介しましょう。
1971年(昭和46年)に東京藝術大学美術学部日本画科を卒業し、その翌年に電通への就職が決まった利夫と結婚しました。
1976年(昭和51年)に初の個展を開催。1978年(昭和53年)と翌年の春季創画会展では二年連続で春季展賞を受賞しています。
また1988年(昭和63年)からは唐津焼の隆太窯に内弟子として入門して陶芸を学び、以降は陶芸家としての活動が中心に。
1998年(平成10年)に河北倫明賞、翌年には菅楯彦大賞展で佳作を受賞。
日本画や陶芸での個展を開催し、実践女子大学教授として教鞭を執っています。
有元利夫作品の特徴とその魅力
有元利夫作品の特徴について考える際、彼が大きな影響を受けたとされる「フレスコ画」と「仏画」というキーワードが重要となるでしょう。
イタリア・ルネサンス期の絵画や日本の古仏など、古典の持つ時代を超越した力強さに魅了された体験がバックボーンにあるためです。
利夫はフレスコ画と仏画との共通性に着目し、古来の顔料、つまり岩絵の具や金箔・金泥など日本画が伝統的に用いてきた画材を大胆に取り入れた油彩技法を開発しました。
それでいてその作風は素朴で親しみやすく、これらの取り組みは日本画壇に新境地をもたらすものとして大きな注目を浴びました。
作品には意図的にキャンバスの一部を剥落させたり額縁に虫食い穴を開けたり、ある種「風化」していく様子を表現したことも注意すべき特徴の一つです。
また利夫の絵のモチーフには「女神」が多く選ばれており、その幻想的な世界観が多くの人を魅了し続けています。
早逝の幻想画家、有元利夫
有元利夫が残した絵画作品は、生涯で400点弱と決して多くはありません。
しかしそれだけに彼の作品は希少であり、古典をリスペクトしつつも新たな地平を切り拓こうとしたその画業は、今後ますます評価が高まっていくのではないでしょうか。
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