古来、絵画では身近な自然の風景がしばしばモチーフに選ばれてきました。
東洋絵画でも花鳥風月という言葉があるように、動植物や気象、あるいは天体などあらゆる光景が題材とされてきたのです。
中でも「花」は季節の移ろいに応じて色とりどりの変化があり、記念日や儀式などでも思いを託す媒体として欠かせないものでした。
そんな花を得意な画題とする現代日本画家の一人に「中島千波」の名が挙げられます。
「花の画家」と呼ばれることすらある千波の画業において、このモチーフは代名詞ともいえるでしょう。
本記事ではそんな中島千波のプロフィールや生い立ちを概観しつつ、作品とその魅力についてご紹介します。
プロフィール
1945年(昭和20年)10月21日‐
昭和・平成・令和の時代に活躍する日本画家。
花を題材とした多くの作品で知られ、その画業から「花の画家」の二つ名でも親しまれています。
写真ではなくスケッチを元に描くという制作方針を貫き、日本画らしい「線」で対象を捉えることへのこだわりでも知られる作家です。
東京藝術大学名誉教授でもあり、精力的に後進の指導にもあたっています。
生い立ち
中島千波は1945年(昭和20年)10月21日、家族の疎開先であった長野県上高井郡小布施村(現在の小布施町)に日本画家・中島清之(なかじまきよし)の三男として生を受けました。
3歳の時に一家が元の居住地であった横浜に戻り、やがて父同様に日本画家としての道を歩みます。
大学在学中の1969年(昭和44年)に第54回院展に初めて出品した『窓』が初入選。1971年(昭和46年)には東京藝術大学大学院を修了します。
1979年(昭和54年)に山種美術館賞で優秀賞を受賞、1983年(昭和58年)には当時の若手日本画家が集った「横の会」結成に参画し、1993年の最終回展まで出品しました。
また同83年には初めて岐阜県梶尾谷の「薄墨桜」を目にし、以降日本各地の桜の古木を訪ね歩くようになります。
1985年(昭和60年)に裸婦大賞展で大賞を受賞。1990年(平成2年)には横浜・三渓園臨春閣の襖絵を完成させました。また1987年(昭和62年)からはNHK教育「きょうの料理」テキストの表紙を3年にわたって手掛けています。
1994年(平成6年)、鎌倉・鶴岡八幡宮の斉館貴賓室床の間に壁画『孔雀図』を制作。翌年には歌舞伎座緞帳の『淡紅白梅』が完成しました。
1998年(平成10年)にそれまで籍を置いていた日本美術院を退院、無所属となります。
2000年(平成12年)には東京藝術大学美術学部デザイン科教授に就任し、2012年(平成24年)に定年退官するまで勤めました。
2004年(平成16年)、成田山東京別院深川不動堂・内仏殿大日堂の格天井絵が完成。2006年(平成18年)には生地の長野県・小布施町から名誉町民に選出されました。
2013年(平成25年)には第10回長野灯明まつりにおいて、神獣や狛犬をモチーフとした作品で知られる長野出身のアーティスト・小松美羽と共に巨大な灯籠を制作し、善光寺の仲見世通りに展示。また2015年(平成27年)には高野山・金剛峯寺奥殿の「桜の間障壁画」を完成させました。
現在、東京藝術大学名誉教授および日本美術家連盟常任理事としても活動しています。
中島千波作品の家族
中島千波の家族については、父である日本画家・中島清之(なかじまきよし)のことに触れてみましょう。
清之は1899年(明治32年)3月8日生まれで、少年時代を京都で過ごし仏教美術を中心とした知見を深めました。
初め松本楓湖に師事し、のちに山村耕花や安田靫彦らについて学びました。
1924年(大正13年)に院展において初入選を果たし、1950年(昭和25年)に日本美術院賞を受賞。1968年(昭和43年)に文部大臣賞に輝いています。
横浜を中心に活動し、その千変万化の作風から「変転の画家」の異名をとりました。
1989年(平成元年)7月7日、満90歳で生涯を閉じました。
中島千波作品の特徴とその魅力
中島千波は特に花をモチーフとした作品群でよく知られる作家です。
その画業の土台を「スケッチ」に位置付けており、制作には写真ではなく自身の写生を用いることにこだわっているといいます。
それは対象への丁寧な観察と日本画ならではの線描技術に拠って立つものであり、千波の作品からはそうした精緻な洞察を見て取ることができるでしょう。
西洋画のスケッチと異なる点は途中で線を消すことをせず、往年の墨絵のように一本の線で画題を捉えることが重要とも説いています。これは父・中島清之も同様の取り組みをしていたといい、高度に洗練された日本画の技による繊細で華麗な描写力が、中島千波作品の大きな魅力の一つです。
「花の画家」に留まらない画業、中島千波
繰り返し述べてきたように「花の画家」として有名な千波ですが、その画題はもちろん花だけに留まりません。
若年から一貫して女性画も手掛けていますが、意外なことに日本画らしい着物姿の美人画はほとんど存在しないといいます。
複数の女性が同じ服装、同じ髪型で描かれている『無明』という作品では外見上の特徴によらず人間の本質に迫ろうという試みがなされました。
自らを振り返って「シュールレアリズムの手法と日本画の装飾性を組み合わせて」みたと本人が語るように、伝統のみに囚われない闊達で挑戦的な画業が続けられています。
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