後藤純男
ごとうすみお

仏教が日本へ公式に伝来したのは6世紀半ば頃のこととされていますが、哲学や宗教のみならず大陸の先進的な文物の数々をもたらすできごとでもありました。

美術分野についても同様で、仏像や仏画、仏具、法具といった造形は新たな芸術の概念を導いたともいえるでしょう。

日本画についてもさまざまな系統があるものの、その源流の一つには仏画があるとされています。こうしたことから仏教芸術は日本の美術史においても重要な祖型の一部であり、仏教と絵画には浅からぬ縁があります。

そんな仏教との関わりも深い日本画家の一人が「後藤純男」です。

仏門の家に生まれ僧侶としての修行を積んだ純男は、やがて仏道から絵の道へと転身しました。

本記事ではそんな後藤純男のプロフィールや生い立ちを概観しつつ、作品とその魅力についてご紹介します。

プロフィール



1930年(昭和5年)1月21日‐2016年(平成28年)10月18日

昭和から平成の時代に活躍した日本画家。

生家が寺院であり自身も僧侶としての修行を積んでいましたが、教職のかたわら絵画を学び日本美術院を中心に作品を出展しました。

仏教への深い造形から古都の寺院景観はもとより、雄大な自然美の描写にも定評があります。

東京藝術大学で教鞭も執り、旭日小綬章を受章しています。

生い立ち



後藤純男は1930年(昭和5年)1月21日、千葉県東葛飾郡木間ヶ瀬村(現在の千葉県野田市関宿町)に真言宗豊山派寺院の住職・後藤幸男の子として生を受けました。

1932年(昭和7年)に一家は埼玉県北葛飾郡金杉村(現在の埼玉県北葛飾郡松伏町)に移転。純男は1942年(昭和17年)に金杉小学校を卒業、同年に旧制豊山中学校(現在の日本大学豊山高等学校)に入学します。

1945年(昭和20年)には英語教員としても勤めていた父・幸男の転任に伴い、旧制埼玉県立粕壁中学校(現在の春日部高等学校)に転入。

翌年には日本画家の山本丘人(やももときゅうじん)に師事、本格的に絵画を学び始めます。同じ年に粕壁中学校を卒業し東京美術学校を受験しますが、入学は叶いませんでした。

1947年(昭和22年)から埼玉県内の小・中学校で教職員として勤めながら制作を続け、1949年(昭和24年)には山本丘人の紹介で日本画家の田中青坪(たなかせいひょう)に師事するようになります。

1952年(昭和27年)、再興第37回院展に出品した『風景』が初入選を果たし、5年間の教員生活に終止符を打ち画家としての道を歩み始めます。

1954年(昭和29年)には日本美術院院友に推挙され、その翌年から関西や四国の真言宗寺院をスケッチして巡るようになり、その旅は8年間にわたって続けられました。

また1960年(昭和35年)頃からは北海道各地を取材するようにもなり、雄大な自然景観も画題として取り上げています。

1962年(昭和37年)、再興第47回院展に出品した『懸崖』が奨励賞・白寿賞・G賞の三賞を受賞。同時期に千葉県流山市に移り住みました。

1965年(昭和40年)には再興第50回院展で『寂韻』が日本美術院賞・大観賞に輝き、日本美術院特待に推挙されます。また1969年(昭和44年)の再興第54回院展でも『淙想』が同じく日本美術院賞・大観賞を受賞し、1974年(昭和49年)に日本美術院同人に推挙されました。

1976年(昭和51年)の再興第61回院展では『仲秋』が文部大臣賞を受賞。1979年(昭和54年)には現代日本絵画展代表団のメンバーとして初めて中国を訪問し、以降毎年のようにスケッチ旅行で当地を訪れるようになります。

1986年(昭和61年)、中国・西安美術学院の名誉教授に就任。同年の再興第71回院展では『江南水路の朝』で内閣総理大臣賞を受賞しました。

1988年(昭和63年)には東京藝術大学美術学部の教授に就任し、1997年(平成9年)の退官まで教壇に立ちました。また、同97年には北海道上富良野町に後藤純男美術館がオープンしています。

2000年(平成12年)、埼玉県松伏町名誉町民に選定。2006年(平成18年)春の叙勲では旭日小綬章を受章しました。

2016年(平成28年)に東京藝術大学名誉教授となり、第72回日本芸術院賞では『大和の雪』が恩賜賞を受賞。また北海道上富良野町特別名誉町民、千葉県流山市の第一号名誉市民ともなりました。

同年10月18日、純男は敗血症のため満86歳で生涯を閉じました。

後藤純男作品の特徴とその魅力



後藤純男が好んで画題としたものには郷里の田園風景や各地を巡った旅の情景、古都の寺院、そして北海道や中国といった雄大な自然景観が有名です。

いずれも力強く存在感のある筆致が印象的ですが、純男が仏門の家に育ち僧侶としての修行を積んでいたこともその心象風景に強く影響していることを思わせます。

純男の画業を振り返るとき、ある種宗教的な荘厳さや神秘性を感じるという評価もあり、そうした精神性が後藤純男作品の魅力の一つといえるでしょう。

仏道から絵の道へ進んだ画家、後藤純男



仏門から始まるという特殊なキャリアを持つ画家、後藤純男。

その自然や造形への真摯なまなざしは、人智を超えたものへの深い畏敬の念をたたえているかのようです。

それは絵画という手段を介して、仏教の理念にも通じる道だったのではないでしょうか。

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