杉本 貞光
すぎもとさだみつ

陶芸といえば、信楽や伊賀、楽など日本各地に伝統的な焼物がありますが、その中でも特に優れた作品が桃山時代に生まれました。桃山時代の茶陶は、千利休(せんのりきゅう)や古田織部(ふるたおりべ)など茶人たちの美意識によって発展し、「わびさび」という日本独自の美学を表現しています。この記事では、桃山時代の名品を手本としながらも、それを超えることを目指した陶芸家・杉本貞光について紹介します。

プロフィール


杉本貞光は、東京出身の陶芸家です。1935年に生まれた貞光は、33歳のときに信楽山中で穴窯を築き、茶陶作りを開始しました。1974年からは、京都・大徳寺の立花大亀老師(たちばなだいきろうし)に師事し、「桃山に帰れ」という言葉を教えられました。それ以来、貞光は桃山時代の名品を研究し、それに迫るよう努力しました。1991年にはアメリカで初個展を開き、その後も国内外で幅広く活動しました。貞光の作品はエール大学美術館や滋賀県立陶芸の森陶芸館などに収蔵されています。

来歴


杉本貞光が陶芸家として歩んだ道は、決して平坦ではありませんでした。彼は若いころから美術や工芸に興味がありましたが、当時は建設ラッシュでビルの内装や外装のレリーフ制作などの仕事に追われていました。しかし、33歳のときに信楽の古い壷に魅了され、陶芸の世界に足を踏み入れました。その後も民芸風や現代風の作陶を試みましたが、39歳のときに京都・大徳寺の立花大亀老師と出会い、人生が変わりました。

老師は貞光に「美術館でたくさんの国宝や重要文化財を見ているだろう?あれをどう思う?“わびさび” の思想から生まれた美術品はたくさんあるだろう」と問いかけました。「わびさび」とは千利休や古田織部などが活躍した桃山時代の美意識であり、徹底的に無駄を省いた究極の美です。「桃山時代に返りなさい」と言われた貞光は目からうろこが落ち、「わびさび」を目指すことを決心しました。

老師から師事を願い出た貞光は、「作家活動をやめること」「愚痴(ぐち)と弁解は言わないこと」という条件を出されました。作家活動は己の個性を追究するもので、「わびさび」とはかけ離れた世界だったからです。「確かに審査員はその道に詳しい。しかし、それはたった1人の目に過ぎない。何百年も時代を経て来た名品は、数え切れない人の目にさらされ、時代の変化に耐えて評価されている。つまり、“仏の目で選ばれているに近い”。審査員の目よりも仏の目、己の個性よりも普遍的な美、それが“わびさび”だ」と老師に教えられたという。

貞光は以来、あらゆる名品を見るように努め、そこから学び、それに迫るよう努力しました。むしろ迫る努力というより「超える努力」というべきかも知れません。苦労したのは「土探し」でした。志野の「もぐさ土」と出合うまでには10年以上かかったという。納得のいく土を探し出し、土に聴くことが重要だったからです。「上手に作りたい、自分を表現したい」という邪念を捨て、土の持つ個性を引き出すことに全身全霊を注ぐようになりました。

作品の特徴


杉本貞光の作品は、桃山時代の名品を手本としながらも、それにとらわれない独自の美しさを持っています。彼は信楽や伊賀、楽、高麗、美濃などさまざまな焼物の特徴を研究し、それぞれに合った土や釉薬、焼成法を探求しました。その結果、彼は「香吹茶碗」「織部志野茶碗」「青瓷茶碗」「井戸茶碗」や「信楽茶碗」など多くの秀作を生み出しました。

杉本貞光の作品には、伝統的な美しさの中に個性があふれています。彼は古作の特徴を忠実に再現するだけでなく、新しい手法や工夫も加えました。例えば、「香吹茶碗」は観音菩薩の塑像制作で釉薬を研究しているときに頭に浮かんだ新しい手法が用いられたと説明されています。「織部志野茶碗」は桃山時代に見られず、志野釉をかけ焼いてから織部釉もかけ仕上げた作品です。どちらも古作の特徴とともに新たな魅力があり、趣深さや面白味が感じられます。

杉本貞光の作品は、「わびさび」という日本独自の美学を表現しています。彼は「地味で渋く、汚らしいのが“わびさび”ではありません。粋で品がよく、おおらかで柔らかい。これがわびさびです」と言っています。彼の作品は、無駄を省いたシンプルな形や色彩、自然な風合いや味わいがありますが、それだけではなく、優雅さや気品も感じさせます。彼は「上手に作りたい、自分を表現したい」という邪念を捨て、土の持つ個性を引き出すことに全身全霊を注ぎました。

代表作品


杉本貞光の代表作品として挙げられるのは、「長次郎風黒茶碗」「光悦風赤茶碗」「高麗の井戸茶碗」「織部茶碗」「信楽焼の蹲」などです。これらの作品は、桃山時代の名品に対する敬意と挑戦と創造性が見事に調和したものです。

「長次郎風黒茶碗」は、千利休が愛用したとされる黒楽茶碗「長次郎」を手本としたものです。「光悦風赤茶碗」は、陶芸家・光悦が創始した赤楽茶碗を手本としたものです。これらの作品は、桃山時代の名陶家たちの技術や感性を尊重しながらも、杉本貞光ならではの表現力や個性を見せています。

「高麗の井戸茶碗」は、高麗時代(918年~1392年)に朝鮮半島で焼かれた青磁茶碗「井戸」を手本としたものです。「井戸」は日本では桃山時代から江戸時代初期にかけて愛用されました。杉本貞光は、「井戸」の青白い色合いや素朴な形態を再現するだけでなく、自然な風合いや味わいも加えました。

「織部茶碗」は、古田織部が創始した織部焼きを手本としたものです。「織部焼き」は日本最初の陶芸家・古田織部が創始した焼物であり、「わびさび」の精神を体現しています。杉本貞光は、「織部焼き」の不均一な釉薬や変化に富んだ色彩を再現するだけでなく、自由奔放な形態や個性も見せています。

「信楽焼の蹲」は、信楽焼きでつくった花器です。「蹲」とは四角形や円形など様々な形をした花器であり、「うずくまる」と読みます。杉本貞光は、「蹲」に信楽焼き特有の赤土や灰釉を用いていますが、それだけではなく、自然素材や金属片なども加えています。これにより、「蹲」に多彩な色彩や質感が生まれています。

まとめ

杉本貞光は、「桃山に帰れ」という言葉を胸に刻み、「わびさび」という日本独自の美学を追求する陶芸家です。彼は桃山時代の名品を手本としながらも、それにとらわれない独自の美しさを持った作品を生み出してきました。彼の作品は伝統的な美しさと個性的な魅力が調和したものであり、多くの人々から高く評価されています。
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