岡本 太郎
おかもと たろう

1911年(明治44年)ー1996年(平成8年)
日本の芸術家

数々の代表作の中でも有名な「太陽の塔」の制作者であり、「芸術は爆発だ」という名言を残した芸術家が、岡本太郎です。破天荒な作品や名言を多く残した岡本太郎は、1911年に神奈川県で生まれました。父は漫画家の一平、母は歌人としても活躍した小説家のかの子です。
幼少の頃からたくさん描いていましたが、中学生になったころから何のために絵を描くのかと悩むようになりました。そんななか東京美術学校に入学しましたが、間もなくして退学してしまいます。
家族と一緒に渡仏しました。パリではフランス語を学ぶために寄宿舎に入り、美学や民族学など、美術以外の分野を学ぶかたわら、絵を描く生活を送っていました。ある日、画廊でピカソの「水差しと果物鉢」を見て衝撃を受け、この経験からピカソを超えることを自分に誓い、制作に打ち込むようになりました。
・痛ましき腕
・顔
・夜
・森の掟
・無籍動物
・坐ることを拒否する椅子
・歓喜の鐘
・午後の日
・明日の神話
・太陽の塔
・ノン

太陽の塔


岡本太郎の代表作である「太陽の塔」は、高さが70mあり、背面にも模様があります。一番上にある黄金の顔は未来を、前の胴体部にある太陽は現在を、背面の黒い太陽は過去を表しています。第4の顔である地底の太陽は、一時行方がわからなくなっていましたが、現在は復元されています。黄金の顔にある2つの目にはLEDライトが取り付けられていて、日没から23時まで点灯しています。内部には「生命の樹」というモニュメントが設置されており、これは生命の力強さを表現していて、183体の生物模型が取り付けられています。

岡本太郎の作品を鑑賞するには


岡本太郎の作品の多くは、記念館やいくつかの美術館に展示されていますが、公共の空間でも見ることができます。「太陽の塔」の原型となった「若い太陽の塔」は愛知県犬山市のテーマパークに、「呼ぶ赤い手、青い手」は神奈川県相模原市の商店街に、「喜び」は神奈川県川崎市の小学校にあります。このほか、関連の書籍が20冊以上出版されているので、これらを読めば作品の背景にある岡本太郎の魂を感じることができるでしょう。
鮮やかな色を何色も使った油彩画や、奇妙な形の彫刻など、独自の美的センスを遺憾なく発揮した作品は、鑑賞する人に強烈な印象を与えずにはいられません。底に顔をあしらったグラスを制作したときには、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」とテレビコマーシャルにて発言し、これが流行語になりました。
岡本太郎の死後にも展覧会が何度も開かれますが、これは秘書で養女の敏子の尽力によるものです。彼女は岡本太郎の心の支えでもあったといわれています。あるとき、国立近代美術館に展示されている「コントルポアン」が傷つけられ、こういった被害を未然に防ぐために関係者がガラス越しでの展示を提案しました。しかし、傷がつけば自ら直すと提案を拒否したことから、岡本太郎はガラス越しの展示を好まないとされています。この意思を尊重し、アメリカ軍による水素爆発実験で被ばくしたマグロ漁船が被ばくしたときの瞬間を描いた「明日の神話」も、人の往来や温度変化が激しく美術品を展示する環境としては程遠い渋谷駅の構内にそのまま設置されています。
寿永堂では岡本太郎の作品を買取強化中です。



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