祖国チェコスロバキア共和国での生活
アルフォンス・ミュシャは、数多くのポスターを制作していきました。大きなものもありますが、コレクター用に小型のものも作られ、連作で表現していくのも彼の特徴です。ポスター以外にも、雑誌の挿絵なども描いています。これは職業画家としての一面であり、生計を立てるために当時の画家の多くが挿絵を描いています。挿絵は活躍するきっかけのひとつでもあり、知名度はどんどんと高まりました。それも独自の世界観を持っており、挿絵という分野においても、素晴らしい業績を残しています。
挿絵としての成功が、アメリカの富豪から支援を受けるきっかけになります。これによって、金銭的な問題を気にせずに済むようになり、多くの作品を生み出していきました。特に空想上の民族をベースとして作り上げていったスラヴ叙事詩は、アルフォンス・ミュシャの代表作となっていきます。構想を思い浮かべてから完成までには約20年がかかった作品でもあります。祖国への想いは深く、当時成立したばかりのチェコスロバキア共和国の紙幣や切手、国章に至るまでデザインの仕事のほとんどを無償で請け負ったことが知られています。
この後、チェコスロバキア共和国はナチスドイツによって解体され、アルフォンス・ミュシャもつかまってしまいます。彼の描いた絵画が母国を愛する心を刺激してしまうためという理由であり、厳しい取り調べも受けることになりました。当時78歳のアルフォンス・ミュシャには体への負担も大きく、割と短期間で釈放はされたものの、結局79歳のときに体調を崩し亡くなってしまいました。
人生の後半で描いてきた祖国への想い
アルフォンス・ミュシャの作品の特徴と言えば、華やかであり、目を惹くところにあります。描いたものが絵画ではなく、広告のため人目につく必要があったポスターを中心としたイラストであったことが、このような特徴を生み出したひとつの要因でしょう。美しくも繊細な部分は日本においても人気であり、明治時代から日本の画家や今日のイラストレーターに模倣されたり、コレクションされたりと愛され続けています。また、現代のイラストやポスターにもアルフォンス・ミュシャから影響を受けたと思われる曲線やタッチといった特徴を取り入れたものが街中を飾ることもしばしばです。
現在では珍しくはなくなりましたが、擬人化を多く取り入れてきたのもアルフォンス・ミュシャの特徴です。宝石や花、星に至るまでを擬人化しただけではなく、季節など概念的な部分まで女性の姿に移し替えてきたのは、彼の才能を感じる部分でしょう。これらを女性として例えたらどんな絵になるのかというその想像力の豊かさと技術は、多くの人に評価されました。
晩年に至るまでの後半生のアルフォンス・ミュシャの作品には、画家であるという事実を認識させるものが多く残っています。ナチスドイツの影響もあり、祖国であるチェコスロバキア共和国を想いつつも、さまざまな油彩画を残していきました。これらの油彩画は、ポスターなどで見るアルフォンス・ミュシャとは違い、力強さを感じるものの暗さもあり、悲しさをも感じる作品が残されています。そして、これこそがポスターという商業的な挿絵ではあまり表現されなかった彼の内面を表現しているのです。
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