于非闇
うひかく

于非闇は、中国の有名な近代画家のひとりで、書道家でもあります。中国では氏名以外に字や号を使用する文化があり、于非闇の場合、字は仰枢と非闇、号は閑人と山東蓬莱人など複数あります。字とは、高い地位についている20歳以上の男性、もしくは15歳以上の女性が持っていた常用の名前です。昔の中国では、ほかの人が名前を呼ぶことは失礼であるという考え方から、名前を呼ぶのではなく字で呼んでいました。号は、画家や芸術家が作品を発表するときに使用するペンネームや芸名のようなものです。
中国の現代美術家の中で、伝統的な花鳥画で独自の境地を切り開いた巨匠の一人が于非闇で、日本でも彼の作品は人気が高いのですが、鑑定が難しいアーティストの一人でもあります。
于非闇は1889年に北京で生まれ、幼いときから絵や書道を嗜んで育ちました。幼い頃は私立学校に通い、1908年には满蒙高等学堂に入学しています。1912年には総合大学である北京師範大学に入学し、翌年に北京第二小学校で教鞭を取りながら、絵画の勉強をしました。青年期にはさまざまな絵画の中から花鳥画に関心を持ち始め、高校や大学で絵画教師として教鞭を執るかたわら、学校という創作と研究という両方を実現できる環境を得て、さらに花鳥画を追求していきます。
于非闇は絵画を描く際に北京筆や五十年前の陳墨を使用するなど、色に強いこだわりを抱いていました。それ故に色に関する素材にもこだわっていたとされています。中国にある絵の具やインクの種類や性質、中国画家など、あらゆる色彩の観点からまとめて「中国画顔色的研究」という評論を出すほどです。
私立師範学校や私立華北大学美術部で講師をしたあと、付属中国画研究館監修者として古物陳列所へ勤めます。北京師範学校や北京広州大学、北平美術大学などでも教鞭を取り、1949年以降には北京画院の副院長も務めています。
46歳頃から花鳥画を描くようになり、1936年には中山公園で個展を開くまでになりました。大変緻密な筆致で描かれた絵は、現代の花と鳥の絵に重要な影響を与え、今でも高値で取引されています。掛け軸になっている絵も多く、日本においては複数ある于非闇の作品の中でも、この掛け軸がよく買い取りされています。

躍動感や生命の息吹を感じさせる作品群


花鳥画の伝統である格調の高さ、生命力あふれる躍動感、色彩の鮮やかなコントラストなど、于非闇の作品は、風に乗って舞う鳥や蝶と、みずみずしい美しさを感じさせる草花を見事に描き切っています。例えば、代表作のひとつである「玉蘭黄」は、玉蘭と2匹の黄を見事な構図で表現しています。玉蘭とは白木蓮の花を指します。樹高が10メートルを超えることもある大きな樹木で、春になると白い大きな花を咲かせますが、その優美さと力強さを見事に具現化しています。一方、黄とはコウライウグイス科の鳥で、雌雄とも美しい黄色の体と桃紅色のくちばしを持つ鳥で、作品では待ちかねた春を祝福するかのように、喜びと躍動感あふれる様子が玉蘭と共に絶妙のバランスを生んでいます。また、于非闇の特徴でもある色使いも秀逸で、背景色である深い青とのビビッドなコントラストがメリハリを利かせています。
「向日葵」という作品は、夏の象徴的な花であるヒマワリを描いていますが、見る人を惹きつけるのは暑い夏にもかかわらず冷感を受けさせる卓越したメッセージです。緻密に描き込まれたヒマワリは確かに夏を彷彿とさせる黄色でしっかり描かれているのですが、よく見ると、緑の葉や花弁が風になびき、少し翻っている様子が見られます。つまり、暑い夏の象徴であるヒマワリの周りを冷風が吹き抜けていった一瞬を高速度シャッターのカメラで切り取ったような、涼感あふれる作品となっています。
花鳥画という名称であっても、描く対象は花と鳥や蝶だけに限定されているわけではありません。野菜や、水の中の生き物や小さな虫なども描かれることは珍しくなく、幼いときから昆虫や魚、動植物を育てることなどを好んでおり、自然に鳥類や園芸に関する深い知識と観察力を身に着けました。1941年の秋には、野菜と、その野菜に寄り添う昆虫をを描いた作品「蔬菜草虫」を残しています。
>中国美術買取ページはこちら
「杜鹃」
「花鳥図」
無料査定のご依頼はこちら

鑑定のご相談、
お待ちしております!

お電話でのご相談・鑑定依頼

電話買取簡易査定が可能ですので、まずはご相談ください。

0120-13-6767

鑑定依頼メールフォーム

出張鑑定や持ち込み鑑定のご依頼はメールフォームからも受け付けております。お気軽にご連絡ください。

メールフォームはこちら

LINEで簡単査定

LINEで簡単に査定が可能になりました。

友だち追加 LINEQR

多くの士業関係の方からも御依頼を頂いております。お気軽にご相談ください。