与謝蕪村
よさぶそん

与謝蕪村は、江戸時代に俳人と画家として二足のわらじで才能を発揮した人物です。松尾芭蕉、小林一茶とともに江戸三大俳人の1人でもあります。与謝蕪村の幼少の頃については分かっていないことも多く、エピソードもあまり残っていません。ただ、10代のうちに両親を亡くし、その後早野巴人のもとで俳諧を学び始めたということは言い伝えられています。松尾芭蕉を非常に敬愛していて、27歳で俳諧の師匠が亡くなった後は松尾芭蕉の足跡をたどる旅をしていました。その際、宿代の代わりに絵を置いていったというエピソードが伝えられています。
与謝蕪村の本名は谷と言いますが、42歳のときに与謝を名乗るようになります。45歳のときに結婚し、娘が1人いました。50代の頃には讃岐や四国、京都で活動しており、各地で数々の作品を作っており、有名なものは「蘇鉄図屏風」などがあります。そして、68歳で「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」という辞世の句を残して心筋梗塞でこの世を去ります。
与謝蕪村は、俳句と絵画を組み合わせた俳画を完成させた人物だとも言われています。後に有名となる多くの俳人や作家へ大きな影響を与えています。俳画とは俳句に挿絵のように絵画を描くことで、俳句に描かれた風景をよりリアルに感じ取ることができるものとなっています。主な俳画作家としては、他に小林一茶がいます。
重要文化財である「奥の細道図屏風」は、与謝蕪村が尊敬していたという松尾芭蕉の作品をモチーフとして描かれた俳画です。俳画以外にも、重要文化財となっている「山水図屏風」など多くの作品を残しています。絵画については特定の師匠に師事することなく独学で学んだというのも与謝蕪村の特徴です。
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