高田誠 (洋画家)
たかだ まこと

高田誠は、昭和から平成にかけて60年以上の間活躍した、日本を代表する洋画家の一人です。
文化功労者であり、瑞宝章受章者としても有名です。高田誠は1913年、当時の埼玉県浦和町にある裕福な家庭に生まれました。
代々医師の家系であり、共に医師である父は県会議員、兄は医師会の会長を務めています。
幼い頃から絵に親しみ、小学校高学年の頃にはすでに油絵具を用いて絵を描くほど早熟だった彼は、昭和14年、中学4年生のとき弱冠16歳にして二科展入選を果たします。
当時二科展は画家の登竜門と目されており、中学生の入選は衝撃を持って迎えられ、新聞にも大々的に取り上げられました。
早熟の天才はさらなる高みを目指すべく、安井曾太郎に師事します。師の影響を強く受けながらも後に独自の画風を確立し、日本の洋画壇に輝かしい功績を残しました。
高田誠は浦和画家の代表的な存在であり、一生を浦和で過ごしたと言われています。
江戸時代より宿場町として栄えた浦和には、明治以降、多くの文化人や芸術家が集まり、中でも画家が多かったことから、文人が多く居を構えた鎌倉との対比で鎌倉文士に浦和画家と称されたほどです。
気候や風土に恵まれていることに加え関東大震災の被害が少なかったこと、美術館や博物館、芸大のある上野へのアクセスがよいことなどから、大正末期以降、その傾向はさらに加速しました。
高田誠は創作活動の傍ら埼玉大学や玉川大学で指導にあたり、美術教育へ尽力したことでも有名です。
埼玉県立近代美術館や、うらわ美術館に作品が収蔵されているほか、市内に残るモザイク壁画は街のシンボルとなっています。平成2年には浦和の名誉市民となり、今も街の人々に愛されている画家です。
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