千利休
せんのりきゅう

日本の伝統文化を象徴するものの一つとして、「道(どう)」という概念があります。

武道や芸道といった言葉があるように、身体文化や芸術に対しても精神修養を主眼とした哲学性を見出す考え方を表わしています。

中でも国際的に有名で広く愛好されているのが「茶道」です。

抹茶を点てて振る舞うというシンプルな行為に、完成された様式美と神秘性を感じさせる独特の文化といえるでしょう。

茶道の歴史を紐解くとき、その源流には必ずといっていいほど一人の人物が挙げられます。

その名は「千利休」。

言わずと知れた茶の湯の大家であり、現代茶道の直接の開祖といっても過言ではない伝説的な茶人です。

本記事では、そんな千利休の生い立ちや作品の魅力についてご紹介します。

プロフィール


1522年(大永2年)‐1591年(天正19年)

室町時代末期~安土桃山時代の茶人。

堺の有力町人として茶の湯の道に励み、その技を見込まれて織田信長・豊臣秀吉に仕えました。

武将が茶の湯を愛好しそれを政治的にも利用したため、利休は権力者の側近として大きな影響力を持つようになります。

現代の茶道の源流ともいえる「わび茶」の形式を完成させた人物であり、「茶聖」と称されることも有名です。

士分ではありませんでしたが、その最期は秀吉により切腹を命じられるという不可解なもので、いまだ謎の多い茶人でもあります。

生い立ち


千利休は1522年(大永2年)、堺の有力商家に生を受けました。

幼名を田中与四郎といい、生家は「納屋衆」と呼ばれる倉庫・物流業者でした。

茶の湯を習い始めたのは17歳頃のこととされ、北向道陳や武野紹鴎に師事したと伝えられます。

ただし紹鷗については記録がはっきりせず、同時代の文献から利休の師を辻玄哉とする説もあります。

初めて茶会を主催したのは1544年(天文13年)で、以降着実に茶人としての存在感を増して畿内に一大勢力を築いた三好氏の御用商人となりました。

1569年(永禄12年)に堺が織田氏の直轄地となると、やがて信長に茶人として召し抱えられるようになります。

折しも信長は「御茶湯御政道(おちゃのゆごせいどう)」という茶の湯を政治利用する仕組みを打ち出していたため、堺などから他の茶人たちも登用されています。

1582年(天正10年)に織田信長が本能寺の変で討たれると、以降は羽柴(豊臣)秀吉に仕え自身の茶風を完成させていきました。
多くの大名を含む門弟を育て茶の湯の大家として不動の名声を得ます。

しかし、1591年(天正19年)に秀吉の逆鱗に触れたとして切腹。その経緯には諸説あり、正確な理由はいまも判明していません。

千利休の家族・弟子


利休の父は田中与兵衛といい、先に述べたように倉庫・物流業を営んでいました。

屋号は「魚屋(ととや)」とされ、塩蔵した海産物などを扱う商人に倉庫を貸し出す業態だったと考えられています。

母は法名を月岑妙珎(げっしんみょうちん)、妹は宗円といいました。

利休は二回結婚しており、最初の妻は宝心妙樹、後妻の名は宗恩と伝わっています。

以外にも子だくさんであり、宝心妙樹との間に長男の千道安、そして四女を授かりました。

宗恩との間にも次男の宗林と三男の宗幻をもうけ、明確ではありませんが二女も授かったとされています。

他にも宗恩の連れ子や、利休の庶子もいました。

利休は信長や秀吉といった武家の権力者に重用されたことから、その弟子には多くの武将たちが名を連ねています。

熱心に茶の湯を修行した武人は枚挙に暇がなく、古田織部・細川忠興・蒲生氏郷・金森長近・前田利長・高山右近等々、大名茶人として名を馳せた人物が利休に師事しました。

作品の特徴とその魅力


茶の湯という文化そのものが利休の生涯をかけた作品ともいえますが、そこに通底する価値観に「わび(侘)」という概念があります。

これは大まかにいうと素朴で質素なものに精神的な充足と価値を見出す美意識のこととされ、利休の茶の湯のテーマとも言い換えられます。

各種の茶器をはじめ掛軸や花入れ、ひいては茶室とそれを含む空間そのものまでが一連の作品です。

いずれにも「利休好み」と呼ばれる独特のスタイルが取り入れられています。

例えばそれまでの茶碗は海外製の高級品が「名物」として珍重されましたが、利休はシンプルで不定形な国産品に新たな価値を見出しプロデュースしました。

また従来の茶の湯は書院などの広間で行うことが一般的でしたが、喫茶専用の小さな別棟を設けたのも利休の事績で、これを「草庵茶室」といいます。

自ら道具類を製作することもあり、利休作とされる竹製の花入れや茶杓などが伝わっています。

いずれも虚飾のない必要最低限の機能ながら、利休の美に対する哲学が込められた風格を感じさせるものです。

わび茶の巨人・千利休


決して華美ではなくとも、身の周りにあるものを工夫して精いっぱいの真心を客人に伝えるわび茶。

それは日本文化のもつ「おもてなしの心」の、最も重要な部分であるといえるでしょう。

利休の思いを形にした茶の道は時代も国も超越して、今なお多くの人に愛され続けています。

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