嘉靖帝
かせいてい

四千年とも五千年とも例えられる長い中国の歴史上、数多くの王朝が栄枯盛衰を繰り返してきました。

しかし長期にわたって栄えた王朝は決して多くはなく、紀元後で200年以上の統治を実現したのは4つだけでした。

7世紀~10世紀にかけておよそ289年間続いた「唐(とう)」。

907年~1125年の218年間続いた「遼(りょう)」。

また1616年~1912年まで、当初の「後金」から改称した「清(しん)」は296年間続きました。

そして今回のテーマとなる「明(みん)」も、1368年~1644年の276年間にわたって存続しています。

この明の時代には手工業が著しく発展し、景徳鎮で知られる磁器が高度に洗練されていったことが知られています。

明代でも美術史上いくつかの印象的な画期がありますが、その一つが16世紀前半~なかば頃までの「嘉靖(かせい)」という元号の時代ではないでしょうか。

本記事ではこの時の皇帝であった「嘉靖帝(かせいてい)」のプロフィールや生い立ちを概観しつつ、嘉靖時代の特徴的な作品とその魅力についてご紹介します。

プロフィール


1507年(正徳2年)‐1567年(嘉靖45年)
中国・明王朝の第12代皇帝。

傍系から15歳にして即位し、人事の刷新を中心として先帝時代の弊害を改める取り組みを実施しました。

しかし通例に反して先帝ではなく実父を「皇考」、つまり現皇帝の父として扱うことを強行。

家臣たちのうちには強く反発するグループがあり、これを粛清したことが知られています。

嘉靖帝の生きた時代は北方からはモンゴル系勢力の侵攻、南方は沿岸域を中心に20年以上にわたって倭寇の脅威にさらされ、防衛上の課題を抱えていました。

しかし皇帝自身は政務に積極姿勢を見せなかったといい、紫禁城西苑の万寿宮に籠って道教研究に傾倒したとされています。

そのため宰相の厳嵩(げんすう)が国政を牛耳り、賄賂政治が横行したと伝わっています。

生い立ち


嘉靖帝は1521年(正徳16年)に生を受けました。

姓は朱、諱(いみな)は厚熜(こうそう)、死後に贈られた廟号は世宗(せいそう)といいます。

嘉靖帝という呼び名は皇帝として統治した時代の元号による、日本での通称です。

第10代の明朝皇帝・弘治帝の甥であり、先帝にあたる第11代・正徳帝からすると従弟に相当します。

本来は皇帝の嫡流ではありませんでしたが、正徳帝が崩御しその世子も夭逝していたため、血統的にもっとも近縁である嘉靖帝が15歳で第12代明朝皇帝に即位しました。

先帝統治時代の政治的弊風を一掃するため、宮廷内の苛烈な人事刷新を断行。

一方では当時の儀礼に則って伯父である弘治帝を「皇考」という皇帝父として扱うべきところを、実父の興王をそのポストとしました。

これにより血統上の弘治帝系統が消滅することとなり、これに反対した廷臣たち200名以上を処罰・解任するという大弾圧を行っています。

結果として嘉靖帝に適切な意見具申を行えるブレーンがほとんどいなくなったとされる一方、先帝時代の悪政が改められたという見解もあり、その功績の歴史的評価は定まっていません。

嘉靖帝が道教に熱中したのは先に述べたとおりですが、臣下にも道教の祭文に精通した人物が高官として登用されたという事実があります。

嘉靖帝は道教で不老長寿の仙薬と考えられていた水銀を長年にわたって服用していたため、その中毒症状が原因で崩御したとされています。

嘉靖帝の家族


嘉靖帝の父である興王・朱祐杬(しゅゆうげん)は第10代・弘治帝の弟にあたります。

母は蔣太后で、兄に朱厚熙がいましたが夭逝。
先帝の正徳帝が従兄であることはすでに述べたとおりです。

后妃は名前が確認できる人物だけでも70名近くいますが生まれた皇子は多くが夭逝しており、男子で生きて成長したのは2名だけとされています。

そのうちの一人が第13代皇帝に即位した隆慶帝です。

他には5名の皇女の名が記録されています。

代表的な嘉靖朝作品の特徴とその魅力


嘉靖帝自身が芸術家だったわけではないため彼の作品ではありませんが、その統治時代における代表的なものを挙げるとすれば、やはり景徳鎮の磁器が印象的です。

この頃のものは当時の元号から「嘉靖窯(かせいよう)」と呼ばれ、約40年にわたる生産期は景徳鎮における一つのピークとも例えられます。

特に染絵付の美しさは西洋においても賛美され、鮮やかな青花は作品群の代名詞といっても過言ではないでしょう。

この青花の絵付には回青(かいせい)という素材が用いられました。
これは主にイスラム圏から輸入されたコバルト顔料のことで、景徳鎮では16世紀の終わりごろまで用いられたと考えられています。

少し赤みがかったような強い青は西洋で「バイオレットブルー」と呼ばれ、多くの人を魅了しました。

また嘉靖朝時代の景徳鎮は国家が主導する官窯だけではなく、民間の工人たちが営む民窯も著しく発展したことが知られています。

嘉靖朝の象徴・鮮烈な菫青


西洋で嘉靖窯を指すバイオレットブルーは、「菫青(きんせい)」といいます。

文字どおりスミレの花を思わせる鮮烈な色で、紫がかって見える独特の青がとても印象的です。

西洋諸国だけではなく当時の中世~戦国時代であった日本にも到来し、茶人をはじめとした多くの文化人に愛されたことは周知のとおりです。

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