石本 正
いしもと しょう

プロフィール


石本 正(いしもと しょう(本名読み:ただし)、1920年 7月3日 - 2015年 9月26日)は、日本画家。
創画会会員、京都市立芸術大学名誉教授、京都造形芸術大学教授。
鋭い古典研究をふまえた斬新な技法や人体のリアリズムの追究によって、戦後日本画壇を代表する画家の一人として注目を浴びた。
生涯、地位や名声を求めることなく、絵を描く心を大切にし続けた画家としての姿勢とすぐれた表現力は、今もなお多くの作家に影響を与えている。

プロフィール


島根県那賀郡岡見村(現浜田市三隅町)出身。
島根県立浜田中学 (現:島根県立浜田高等学校)卒業。
京都市立絵画専門学校 (現:京都市立芸術大学)に入学したが在学中に徴兵され中国に渡る。
復員後、人物や風景を描く。
1944年(昭和19年)9月、京都市立絵画専門学校 (現:京都市立芸術大学)日本画科卒業。
1947年(昭和22年)第3回日展で「三人の少女」が初入選。
1950年(昭和25年)より創造美術、新制作展に出品し、1951年(昭和26年)「旅へのいざない」など四度新作家賞を受賞。
1956年(昭和31年)新制作協会会員。
1970年(昭和45年)京都市立芸術大学教授となる。
1971年(昭和46年)日本芸術大賞、芸術選奨文部大臣賞受賞。
1974年(昭和49年)創画会会員。
2015年(平成27年)9月26日午前11時58分、不整脈による心停止のため自宅で死去した。95歳。

作品の特徴


石本正の作品は、線や色彩、構図などにおいて常に革新的でありながら、古典的な美意識や伝統的な技法も忘れなかった。
石本正は中世ヨーロッパの絵画や彫刻に深い関心を持ち、その影響が彼の作品にも見られる。特に人体表現においては、西洋的なリアリズムと東洋的な抽象性が融合した独自のスタイルを確立した。
石本正は舞妓や裸婦を多く描いたが、それらは単なる美しさや色気だけではなく、人間の内面や生命力を表現する手段であった。彼は舞妓や裸婦の肌や髪や着物など細部まで丁寧に描き込み、その存在感や個性を際立たせた。
石本正は花もよく描いたが、それらは自然そのままではなく、彼自身の感性や思想が反映されたものであった。彼は花を生き物として捉え、その姿や色や香りだけではなく、その生命力や情感や意志も表現した。

代表作品



  • 三人の少女(1947年、浜田市立石正美術館)

  • 旅へのいざない(1950年、浜田市立石正美術館)

  • 舞妓・小夏(1966年、京都国立近代美術館)

  • 裸婦・白菊(1970年、浜田市立石正美術館)

  • 白牡丹・赤牡丹(1978年、浜田市立石正美術館)

まとめ

石本正は戦後日本画界に新風を吹き込んだ画家であり、古典と現代、東洋と西洋を融合させた独自の表現力で多くの名作を残した。彼は絵を描くことに情熱と喜びを持ち続け、95歳まで筆を置かなかった。彼の作品は今もなお多くの人々に感動と刺激を与えている。 >日本画買取ページはこちら
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