靉 嘔
あい おう

プロフィール


靉 嘔(あい おう、英語: Ay-O、本名: 飯島孝雄(いいじま たかお)、1931年5月19日 - )は、日本の美術家。
1960年代のフルクサスに、同運動の国際的な活動の初期から関わった。「虹のアーティスト」として知られている。
多摩美術大学美術学部客員教授として教えていた。
茨城県行方郡玉造町(現・行方市)出身。

来歴


1931年、茨城県に生まれる。
1953年、池田満寿夫らと共にデモクラート美術家協会に参加し、明るい色彩の油彩画を発表し注目される¹²。
1958年、ニューヨークに渡り、知覚によって認識される世界を具体的な物との対話によって改めて捉えようとする中で、箱の穴に指を入れ鑑賞する《フィンガー・ボックス》や、周囲の環境を取り込んだインスタレーション等、絵画の枠にとどまらない人間の五感に訴える作品が生まれる。
1961年、オノ・ヨーコがジョージ・マチューナスに紹介し、1963年にフルクサスに加わる。音楽家、詩人、美術家等ジャンルを超えたアーティスト達が交わり、パフォーマンスや印刷物の製作等を通し、今日のアートの多様性のあり方に一つの礎を築いたグループである。
やがて線で描く絵画を拒否し、引用したモチーフに赤から紫までの可視光線(スペクトル)を重ねる「虹」の作品が生まれる。ヴェニス・ビエンナーレ(1966年)やサンパウロ・ビエンナーレ(1971年)での発表等を経て、靉嘔は「虹のアーティスト」として国内外で知られるようになる。
靉嘔の虹との格闘は版画、絵画、インスタレーションと様々な形式により現在まで続いている。1987年にはエッフェル塔に300mの虹色の帯をかけるプロジェクトも実現した。

作品の特徴


靉嘔の作品は、「虹」を主題とするものが多く、「虹」は彼自身が「自分自身」と定義するものである。彼は「虹」を通して自分自身と世界と向き合ってきた。
靉嘔は線で描く絵画を拒否し、「引用」したモチーフや文字に「虹」色を重ねることで新しい表現方法を開拓した。彼は「引用」することで自分自身や他者と対話することができると考えた。
靉嘔は「虹」色を使うことで色彩感覚や知覚能力を刺激し、「見えないもの」や「感じられないもの」を可視化することを試みた。彼は「虹」色が持つ無限性や多様性に魅了された。
靉嘔は絵画だけでなく版画やインスタレーションなど様々なメディアや形式で「虹」色を表現した。彼は「虹」色が持つ生命力やエネルギーを伝えることができると信じた。

代表作品



  • フィンガー・ボックス(1964年、東京都現代美術館)

  • レインボー・エンヴァイラメントNo.7 レインボー・タクティル・ルーム+レインボー・エイムズ・ボックス(1969年、東京都現代美術館)

  • 300m レインボー・エッフェル塔・プロジェクト(1987年、エッフェル塔(パリ))

  • マイ・いっくに・フレンズ(2011年、東京都現代美術館)

まとめ

靉嘔は虹色を使って自分自身と世界と向き合うアーティストであり、日本画から始まりニューヨークでフルクサス運動に参加し、「虹」色で描く独自の表現方法を開拓した。彼は絵画だけでなく版画やインスタレーションなど様々なメディアや形式で「虹」色を表現し、「見えないもの」や「感じられないもの」を可視化することを試みた。彼は「虹」色が持つ無限性や多様性に魅了され、「虹」色が持つ生命力やエネルギーを伝えることができると信じた。 >日本画買取ページはこちら
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