一休宗純
いっきゅうそうじゅん

1394年(明徳5年)-1481年(文明13年)
室町時代中期、臨済宗の僧。
字は一休、諱は宗純、号に狂雲子・国景など。

幼い頃から詩才に秀で、13歳の時に創った漢詩『長門春草』、15歳の時に創った漢詩『春衣宿花』は洛中の評判となりました。

また、狂歌・書画にも優れていました。

自由奔放な言動や奇行でも知られていますが、その様子は当時の形式化、世俗化した臨済宗の風潮に対する皮肉だったともいわれています。

後世につくられたとんち話でも有名です。

一休宗純(いっきゅう そうじゅん)は、頓知ばなしで有名な一休さんのモデルとして知られる室町時代の禅僧です。

僧侶に禁じられた行為や注目される行動を取るなど、ユニークな人柄でも知られています。

当時の仏教を批判し、自身の行動によって風刺することで仏教の伝統を守ろうとしたと考えられています。

奇怪な言動で知られる一休宗純ですが、実は幼い頃から詩の才能がありました。

今回は、仏教の風化を風刺した一休宗純の生い立ちや作品の魅力を紹介します。

生い立ち


一休宗純が生まれたのは、1394年の京都でした。
しかし父や母に関する情報は少なく、出生の謎の多い人物です。一説には一休宗純の父は後小松天皇で、母は天皇の官女だったと考えられています。
幼少期は千菊丸と呼ばれ、後に周健や狂雲子などと号しました。一休の名は道号です。道号とは、仏道に入るときに付ける号のこと。

一休宗純は6歳のときに、京都の安国寺に入門して周健の号を名乗ります。1406年には『長門春草』、1408年には『春衣宿花』などの漢詩を発表。高い評価を得たと伝えられています。

1410年、一休宗純17歳のとき、謙翁宗為(けんおう そうい)の弟子となり戒名を宗純とします。
謙翁宗為は京都の妙心寺を継いだ後、西金寺の住持となった人物です。住持とは、寺の管理を統率する代表者のこと。

一休宗純は謙翁宗為を慕っていたといわれ、1414年に謙翁宗為が死去したときに、一休は自殺未遂を起こしました。

説得により自殺を思いとどまり、1415年に京都の大徳寺の高僧であった華叟宗曇(かそう そうどん)の弟子になります。このとき、一休の道号を授かりました。

鎌倉時代に建てられ、元弘の戦火によって焼かれた妙勝寺を1455年に1年かけて復興させ、生涯の大半を妙勝寺で過ごしました。妙勝寺は酬恩庵(しゅうおんあん)と名前を変え、一休宗純により再建されたことから一休寺とも呼ばれます。

一休宗純は華叟宗曇の下で悟りを開き、1474年に一休宗純は大徳寺の住持に命ぜられました。

天皇と親しいだけでなく、民衆からも慕われる僧侶であったと伝えられています。

大徳寺の住持になってからも寺に住まずに酬恩庵から通っており、1481年にマラリアにかかって酬恩庵で亡くなりました。

一休の名前の由来


華叟宗曇から一休の号を授かったのは、「洞山三頓の棒」の公案に「有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)に帰る 一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」と答えたことが由来。

「洞山三頓の棒」は、洞山の僧侶が長旅の末に雲門禅師に出合って「どこから来たのか?」「どこで過ごしたか?」と問われる公案です。

長旅の詳細を答えると、雲門禅師は「三頓の棒(60回棒で打つこと)を与えたいが、今回は勘弁する。すぐに立ち去れ」と激怒しました。

僧侶は最初、なぜ怒られたのか分からなかったものの、雲門禅師の恫喝により答えが分かって悟りを開きました。

一休宗純は悩んだ末に、上記の解答をしたと言い伝えられています。感心した華叟宗曇は、一休みの解答から一休の号を与えました。

作品の特徴とその魅力


一休宗純は漢詩や狂歌、書画を得意としました。有名な作品に『狂雲集』や『自戒集』などの詩集があります。

また水墨画も嗜み、岡山県立美術館所蔵の『蘭石図』には水に浮かぶ石に蘭が咲く様子を墨で描きました。

晩年に作られた七言絶句『一休宗純純墨蹟』は、根津美術館に所蔵されています。

一休宗純は法号である宗純と記すことがほとんどでしたが、場合によっては宗順や宗淳などと記している作品もあります。

才を持ちながら仏教の風化に警鐘を鳴らして風刺した一休宗純


幼い頃から仏門へ入った一休宗純。

仏教への思いが強く、風化しつつあった当時の仏教に物申すかのような言動が目立ちました。奇怪な行動をしては噂となり、今も多くのエピソードが残されています。

仏教の風化を恐れる一方で、僧侶は禁じられていた肉食や飲酒をしたり、実子を持ったりといった逸話も残っています。

この行動から、後の頓知ばなしの主人公である一休さんが誕生しました。

一休宗純は奇抜な言動の陰で、詩や狂歌の才を持っていたことでも知られています。

10代の頃に作った漢詩が評判を呼び、詩集も残しています。
長門春草
春衣宿花
狂雲集
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