エミール・ガレ
えみーる・がれ

1846年(弘化3年)–1904年(明治37年)
正式名称はシャルル・マルタン・エミール・ガレ(Charles Martin)
アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家、陶器・家具のデザイナー、アートディレクター。
家具・陶器・ガラス器の御売業者シャルル・ガレの息子としてフランスロレーヌ地方ナンシーに生まれる。
14歳より、近郊の森や小丘を植物採集して歩き、情熱を注ぎ、後の作風にも大きな影響を与える。
1867年父のガラス商会の芸術指導にあたり、1893年ナンシーに自分のクリスタルガラス製作所を設立。
アール・ヌーヴォーの工芸作家として名声を得たのは、1889年のパリ万国博覧会に、300点のガラス器、200点の陶器、17点の家具を出品したときであり、一躍有名になる。

生い立ち


エミール・ガレは、1846年にフランスのロレーヌ地方ナンシーに生まれました。父のシャルル・ガレは、陶器やガラス器の製造販売をおこなっており、経営者として成功していたため、ガレは裕福な家庭で育ちました。学校教育では成績優秀で、特に語学や植物学に長け、植物学の権威であるドミニク=アレクサンドル・ゴドロンから、直接指導を受けていたこともあります。このころ、デッサンも学んでいます。
1863年ごろから、父の家業を手伝いながらデザインを学び始めました。1865年から1年ほど、ドイツに留学し、1866年からはガラス産業が盛んだった、マイゼンタールのガラス工場で修業を始めます。
しかし、プロイセン(現在のポーランド)とフランスの領土争いにより、普仏戦争が始まってしまいます。故郷を守りたいエミール・ガレも義勇軍として、戦場に立ちました。戦争に敗れたフランスは、ロレーヌ地方の一部を手放すこととなり、ガレも退役しています。
転機が訪れたのは1971年のことでした。父と訪れたイギリスで、古代ガラスの魅力に気付き、このころからガラスの研究を本格的にスタートさせます。
1877年にエミール・ガレは、父・シャルルの工場を継ぎ、工場の責任者となります。翌年に開かれたパリ万国博覧会では、酸化コバルトを利用して淡い青色にガラスを発色させる独自の技法『月光色ガラス』を出品。見事、銅賞を受賞しました。
万国博覧会で見た日本の美術作品と、ナンシーに留学していた高島得三の影響でジャポニズムを知り、その後の作品には日本をイメージした作品も多く制作しています。
1901年にフランス・ロレーヌ地方にナンシー派を創設し、会長に就任するなど、晩年もふるさとの地を愛していたことがわかります。1904年に白血病で亡くなるまで、エミール・ガレは新しいガラス工芸の技術を開発し続けた人物でした。

ガレとアール・ヌーヴォー


アール・ヌーヴォーとは、19世紀から20世紀初頭にかけて、活発におこなわれた美術運動です。植物や動物などの自然な曲線美を追求し、それまで使われなかったガラスなどの新しい材質で芸術を表現する、様式にとらわれない装飾が特徴。
エミール・ガレはアール・ヌーヴォーを象徴する芸術家であり、植物や花、昆虫などをモチーフにした作品を生み出しています。

作品の特徴とその魅力


エミール・ガレの作品は、ガラス本来の美しさを魅せる技術が特徴です。酸化物を利用してガラスを錆のように曇らせるパチネと呼ばれる技術や、ガラス片で作ったモチーフを土台となるガラスに埋め込むマルケトリ技法を駆使して作られています。特に、ガラス粉を焼き付けたり、ガラス片を埋め込んだりといった技法が多く使われています。
初期は、月光色ガラスに代表されるように、ガラスの透明感を活かした作品が多いことがエミール・ガレ作品の特徴です。しかし、中後期に入ると、黒いガラスを使った曇りガラスの作品も多くみられ、ガレの創作に対する関心が移っていったことがわかります。

エミール・ガレの作品はアール・ヌーヴォーが大きく関係


エミール・ガレの作品には、植物や昆虫がモチーフとして使われています。エミール・ガレがアール・ヌーヴォーに代表される芸術家をいわれる所以であり、ガレの植物学への博識がなせた表現力でもあります。ガラス器に生き生きと表現された植物や昆虫は、その細部まで作り上げられているのが特徴です。
マルケトリ(marqueterie)、パチネ(patine)、「もの言うガラス」などの独自の作風を生み出す。
シャクナゲ文スフレランプ
湖水風景文花瓶
薊文花瓶
フランスの薔薇
ひとよ茸ランプ
エミール・ガレがアール・ヌーヴォーの工芸作家としての名声を決定的なものにしたのは、1889年のパリ万国博覧会でした。

エミール・ガレは、植物をはじめ自然の産物をモチーフとして、それらを洗練された感性と想像力をもって表現しました。
またジャポニズム要素のある叙情豊かな型と文様を用いて、過去のガラス製品の概念を覆しました。
エミール・ガレによって、ガラスは工芸品から美術品の領域にまで引き上げられたと言えます。

当時、花瓶は1点400フラン前後の値段がつけられていましたが、これは中産階級の1ヶ月の生活費に相当する金額であり、相当高価なものでした。

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