寿永堂のWebサイトをご覧いただきありがとうございます。
お客様の想いの詰まったお品物をお譲りいただくのは、たやすいことではありません。
お品物の真価を正しく見極め、そこに込められた想いを 大切に受け止めてもらえる譲り手に繋げる事が私達の使命であると考えております。ご縁があってご相談いただいたお客様の信頼を何より大切にしたい、
そんな信念の元、買取を行わせていただいております。
Menu
出張対応エリア
寿永堂のWebサイトをご覧いただきありがとうございます。
お客様の想いの詰まったお品物をお譲りいただくのは、たやすいことではありません。
お品物の真価を正しく見極め、そこに込められた想いを 大切に受け止めてもらえる譲り手に繋げる事が私達の使命であると考えております。ご縁があってご相談いただいたお客様の信頼を何より大切にしたい、
そんな信念の元、買取を行わせていただいております。
寿永堂では、京都府宇治田原町のお客様から数多くの買取のご依頼を頂いております。
お持ちの骨董品がどういうものか知りたい、売却を検討しているなど
気軽なご相談で構いません。出張買取も行っておりますので、
お気軽にご相談ください。
茶道具、香炉、香木、香道具、日本画、掛軸・屏風、中国書画、中国美術、朝鮮美術、現代美術、古書、文房具、硯・古墨・古端渓、銀瓶・鉄瓶、金工・彫刻・工芸、洋画、作家物陶磁器、西洋アンティーク、人形、仏像・仏画、武具、甲冑、鎧、鍔、蒔絵、翡翠・白玉・石、象牙、象牙製品、版画、金製品、銀製品、日本切手・中国切手
※骨董品・美術品なのかどうかもわからないといった場合でも、まずは一度お電話でお問い合わせください。
宇治田原町荒木 ・宇治田原町岩山 ・宇治田原町奥山田・宇治田原町高尾・宇治田原町郷之口・宇治田原町禅定寺・宇治田原町立川・宇治田原町贄田・宇治田原町南・宇治田原町銘城台・宇治田原町湯屋谷・宇治田原町緑苑坂
宇治田原町は上記記載地域以外も、全域対応可能です。
※内容によっては、お伺いできない場合もございますが、まずは一度お気軽にご相談ください。
宇治田原町は、京都府南東部にあるハート形のまちです。ここは日本緑茶のふるさととして知られており、鎌倉時代から茶の栽培が行われてきました。江戸時代には、この地で「青製煎茶製法」という画期的な製法が開発され、庶民にも手頃な緑茶が普及しました。この製法は現代の緑茶製法の基礎となっています。宇治田原町は、茶文化だけでなく、歴史や自然も豊かなまちです。山城地域と奈良・近江を結ぶ交通の要衝としても栄え、古代からの歴史スポットが多く残っています。宇治田原町では、お茶の香りに包まれながら、ゆったりとした時間を過ごすことができます。
■緑茶のふるさと・大福谷
宇治田原町で最初に茶の栽培が始まったのは、鎌倉時代です。名僧・明恵上人の弟子が茶の種を持ち帰り、鷲峰山のふもとにある「大福谷」に植えました。大福谷は茶の栽培に適した土地で、ここで作られた「大福茶」は幕府や宮中に献上されるほどの高級品でした。
■日本緑茶誕生の地・湯屋谷
江戸時代中期、宇治田原町の湯屋谷で「永谷宗円」という茶業者が、15年かけて新しい製法を完成させました。それが「青製煎茶製法」です。この製法では、摘んだ茶葉を蒸してから乾燥させることで、色・味・香りが良くなります。宗円はこの製法で作ったお茶を「天下一」と名付けて江戸に出荷しました。そのお茶は山本嘉兵衛(後の山本山)という茶商によって販売され、庶民にも大人気になりました。この青製煎茶製法は現在の緑茶製法の元祖と言えます。
■日本遺産第1号・湯屋谷の町並み
煎茶が流行すると、宇治田原町の茶産業は急速に発展しました。湯屋谷では、細い谷間に沿って茶問屋や茶農家が建ち並びました。その様子は今でも見ることができます。永谷宗円生家では、当時使われた焙炉(ほいろ)跡も見学できます。このように、湯屋谷の町並みは日本緑茶の歴史を物語る貴重な景観です。平成27年4月には、「日本遺産」第1号に認定されました。地元では、「やんたん」という愛称で親しまれています。
鑑定のご相談、
お待ちしております!
多くの士業関係の方からも御依頼を頂いております。お気軽にご相談ください。